東海大系列対決は相模に軍配 かつて智弁学園VS智弁和歌山戦で流れたヘンな噂

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 2年ぶりに春の選抜高校野球が甲子園に帰ってきた。その1回戦16試合中、注目のカードのひとつが大会2日目(3月20日)の第3試合に行われた東海大相模(神奈川)対東海大甲府(山梨)という、東海大学の付属校同士の対決だった。結果は3-1で東海大相模が勝利したが、実力校同士の勝負は延長11回にまでもつれこむ熱戦となった。

 この東海大対決、春の選抜では史上初だったが、実は夏の選手権では過去に1回だけ実現したことがある。それはあの桑田真澄&清原和博の“KKコンビ”がPL学園(大阪)で甲子園デビューを飾った83年夏のこと。大会初日の第2試合で東海大一(現・東海大静岡翔洋)と東海大二(現・東海大熊本星翔)の兄弟校対決があったのだ。甲子園ではお馴染みの縦縞“Tokai”のユニフォームが1塁側と3塁側、高校野球史上初めて両方のベンチに集ったわけである。

 ただ、同じ縦縞といってもこの両校のユニフォームには明らかな違いがあった。東海大一は胸元の“Tokai”のロゴが黄色系のグラデーションで縁取られているのに対し、東海大二の胸元の“Tokai”は黄色一色で縁取られていた。さらに東海大一のユニフォームに比べ、地の色が少々群青がかった青をしているのだ。それは今回も同じで、東海大相模も東海大甲府も、ユニフォームの地の色は青ながら、その青が“少し濃いほう”が東海大相模であった。プレーするほうも観戦するほうも、区別はできた。

 さて、注目の試合であるが、戦前の予想では、この年の春の選抜ベスト4進出校である東海大一が圧倒的に有利とされていた。杉本康徳・尚彦という双子のエースを擁し、一枚も二枚も投手力が上だったからだ。

 試合は予想通りの展開となった。序盤3回までは両軍ともに0行進が続いたが、4回表に東海大一が2死二塁からタイムリー二塁打で1点を先制する。続く5回表には相手のエラーをきっかけに打者12人の猛攻で7点を追加し、完全に試合を決めてしまった。東海大二が一矢を報いたのは9回裏。8回までで7安打を許したものの、要所を締める巧みな投球で相手打線に点を許さなかった弟・尚彦に代わって登板した兄・康徳から、川道二郎がレフトラッキーゾーンへ飛び込む大会第1号のソロホームランを放ったのである。だが、これが精一杯の抵抗であった。結果、注目の兄弟校対決は13-1の大差で東海大一に軍配が上がることとなったのである。

四度あった日大付属対決

 東海大学の付属校対決はこの1例だけであるが、甲子園ではこちらもお馴染み、日本大学の付属校対決は過去に春夏合わせて4回実現している。夏なら97年2回戦の佐野日大(栃木)2-1宮崎日大、99年1回戦の長崎日大5-0日大三(東京)、そして13年2回戦の日大山形7-1日大三の3例だ。春はたった1回だけだが、こちらは決勝戦で実現した一戦であった。72年第44回大会だ。

 決勝戦は前年の覇者で史上2校目の春連覇を目指す日大三と、193センチの長身から快速球を繰り出し、“ジャンボ”の愛称で親しまれた仲根正広(元・近鉄など)を擁する日大桜丘(東京)の対戦だった。しかも同じ地元の“東京対決”でもある。

 試合は2回表に日大桜丘が無死一、三塁から二塁打で1点を先制。4回表にも三塁打とスクイズで1点を追加する。さらに8回表にはタイムリーと犠飛で2点、9回表にもダメ押しとなる1点を挙げ、計5得点を奪った。守ってもプロ注目のエース・仲根が持ち味の速球ではなく、コントロール重視の頭脳的な投球を展開。日大三打線を寄せつけず、無失点に押さえ込んでいく。

 結局、5-0の完勝で日大桜丘が“兄弟校・東京対決”を制し、史上10校目となる初出場初優勝という快挙を成し遂げたのであった。こうしてみると、日大三は日大対決では3戦全敗。なぜか弱いことが分かる。

 日大対東海大対決も2度あって、最初が74年夏の2回戦での東海大相模3-2土浦日大(茨城)の一戦。2回目が00年夏の3回戦での東海大浦安(千葉)6-2日大豊山(東京)で、東海大の付属校が2連勝を飾っている。前者は現・読売ジャイアンツの原辰徳監督が、チームを率いる父・貢監督との“親子鷹”で出場していることでも知られた試合だ。原は1年生ながら5番を任され、6打数2安打。延長16回の死闘を制することになるチームにあって、貴重な先制打を放っている。

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