「24年、地獄です」「ご遺族にお詫びしたい」 酒鬼薔薇聖斗の母が取材に語った心の内
おぞましいあの事件から24年、独善的な手記『絶歌』が世に出てから6年。今も酒鬼薔薇聖斗こと元少年A(38)は、自分の正体と犯罪衝動を隠しながらどこかに身を潜めている。そんな元少年Aの親は今――。
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「地獄です。24年、地獄です。下の子らも学校をやめないといけないし。普通の、一般家庭が、ですよ……。地獄です、ほんまに」
時折、目に涙を浮かべながら取材に応じた元少年Aの母親は、「地獄」という言葉を繰り返した。しかし、事件によって地獄に突き落とされたのは、彼女だけではない。元少年Aに殺された土師(はせ)淳君(当時11歳)や山下彩花ちゃん(当時10歳)の親もまた、事件以来、出口の見えない地獄を歩き続けてきた。
2人が死亡、3人が重軽傷を負った神戸連続児童殺傷事件。14歳だった元少年Aは、当時から自己顕示欲の塊だった。
神戸市須磨区内の中学校の正門前で淳君の頭部が発見されたのは1997年5月。その口には、酒鬼薔薇聖斗と名乗る人物からの手紙が挟まれていた。
〈さあゲームの始まりです 愚鈍な警察諸君 ボクを止めてみたまえ ボクは殺しが愉快でたまらない〉
さらに、地元新聞社に送った声明文では自らを“透明な存在”と称して、
〈もっと怒りと執念を持ってぼくを追跡したまえ〉
などと挑発したのだ。
淳君の頭部が発見された約1カ月後に逮捕された元少年Aは関東医療少年院に送られ、2004年3月に仮退院。翌年1月に本退院となり、社会に戻ってきた。
「縁切った」
以降、彼の行方は杳(よう)としてしれず、時折、「あの町に酒鬼薔薇がいるらしい」といった真偽不明の噂が流れるばかりだった。
しかし、社会復帰から10年がたった2015年、事件の「第2幕」が開く。淳君の頭部を自らが通う中学校の正門前に晒したことについて、〈告白しよう。僕はこの光景を、「美しい」と思った〉などと語る手記『絶歌』を出版。それだけでは自己顕示欲が満たされなかったようで、HPまで開設した。そこには、元少年A本人と思しき覆面姿の半裸写真や、ナメクジのコラージュが掲載されており、彼の「治療」が失敗に終わったことは誰の目にも明らかだった。
そんな元少年Aの両親は現在、関西のある地方都市で暮らしている。オートロックもエレベーターもない、築50年以上の古びたマンション。玄関のドアが開いていたので「すいません」と声をかけてみると、中から出てきたのは、年老いた小柄な女性。彼女こそ、元少年Aをこの世に生み落とした本人である。彼女の名前を確認した後、質問を投げかけようとすると、
「こちらにお入り下さい」
と記者を玄関の中に招じ入れた。近所にあらぬ「噂」がたつのを気にしているのだろう。
――元少年Aと連絡をとっていますか?
「ないんですけど」
――今、彼はどのような暮らしをしている?
「わからなくて……」
――ここには来ていない?
「何も聞いていません」
――今、彼はどこに住んでいる?
「全然、わからないんですよ。そういうのは弁護士の先生に全面的にお任せしているんで」
――お二人の暮らしぶりは?
「もう、年金生活ですので。最低限の生活です」
――元少年Aの兄弟はどうしている?
「生きてます」
――お二人とも?
「元気にしています」
――ご遺族の土師さんに対しては?
「死ぬまでに一回は会ってお詫びしたいというのは、弁護士の先生には伝えとるんですけど。直接、お詫びをしない限りはずっと、私は、もう、ずーっと、沈んだままです」
――関東医療少年院を出てからは元少年Aに一度も会っていない?
「うん、そうですね」
――手紙も来ない?
「来ません。縁切ったんちゃいます? 私らと」
こうしたやり取りの後、“事件以後はあなたにとってどのような時間だったか”と聞いたところ、母親は冒頭のように「地獄」の2文字を口にしたのだ。