小田急ロマンスカーが車内販売を終了、120年前に始まった鉄道の供食サービスも終焉へ
新型コロナウイルスの感染拡大により、2度目の緊急事態宣言が発出された。近々緊急事態宣言が解除されたとしても完全な収束の見通しが立ったとは言い難い。今後も、特に飲食店では厳しい経営が続く。
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同じく鉄道業界もコロナ禍で苦境に陥った。GoToで復調の兆しを見せたものの、すぐにGoToは取り止めになった。そして2021年に入っても、鉄道業界が好転しているとは言い難い。
2021年3月のダイヤ改正を機に、小田急電鉄はロマンスカーのワゴンサービスを終了する。小田急は東京・新宿と小田原や江の島などを結ぶ鉄道路線で、箱根路への足として人気を誇る。
特にロマンスカーは観光客が多く利用する看板特急として親しまれているが、先駆的なサービスを導入してきたこともロマンスカーを憧れの特急へと押し上げた要因でもある。
小田急ロマンスカーのウリとして世間から認識されていたのは、淹れたてコーヒーや温かい弁当・サンドイッチといった軽食を座席まで運んできてくれるシートサービスだろう。
列車内で飲食を提供するサービスは、供食サービスとも呼ばれる。供食サービスは、レストランのような雰囲気で食事ができる食堂車、注文を受けて座席まで運んでくれるシートサービス、車内販売員が軽食やビールなどを販売に来るワゴンサービスの3タイプに大別できる。
小田急ロマンスカーでは、1949年からシートサービスを開始。“走る喫茶室”と呼ばれて人気を博した。
ロマンスカーのシートサービスは箱根旅行の楽しみのひとつでもあり、ロマンスカーの代名詞的なサービスになっていた。
時代の流れもあり、“走る喫茶室”は1995年にいったん幕を閉じる。サービス終了後も走る喫茶室への要望は強く、小田急は2005年に新型ロマンスカーの登場と同時に走る喫茶室を復活させた。
そうした盛り上がりを見せたものの、再び2016年にシートサービスは終了してしまう。シートサービスの代替としてワゴンサービスへと切り替えたが、それも今年3月のダイヤ改正で終了が決まっている。車内飲食は乗車前に駅弁などを事前購入するか車内に設置された自販機で購入するしかなくなった。
鉄道車内の供食サービスを縮小・廃止しているのは小田急だけではない。すべての鉄道会社が供食サービスを縮小・廃止しつつある。
駅ホームには、旧来から売店や立食いそば店などはあった。近年は、ターミナル駅に駅ナカが充実し、駅前にコンビニが当たり前のように立地している。弁当やおにぎり、サンドイッチといった食料を事前に調達することは難しくない。わざわざ列車内で飲食物を購入する必要性は薄らいだ。それに伴い、供食サービスは採算が取りにくくなっている。
それらの要因に加え、新型コロナウイルスの感染拡大が顕著になった2020年春以降は乗客が激減。比例して、供食サービの利用者も減少した。
古くは食堂車も
日本の鉄道史を紐解くと、列車内の供食サービスは1899年に山陽鉄道が食堂車を連結したことが嚆矢とされる。山陽鉄道は現在の山陽本線に該当するが、当時は私鉄だった。山陽鉄道の食堂車は、神戸の自由亭が調理を担当した。
山陽鉄道の食堂車はたちまち評判を呼んだが、その一方で「私鉄に食堂車があるのに、なぜ国が運行する列車に食堂車がないのか?」というお上への不満にもつながった。
そうした声を受け、官営鉄道は1901年から新橋駅―神戸駅間を走る東海道本線の列車に食堂車を連結。官営鉄道の食堂車は、東京・築地の精養軒が担当した。
当時の食堂車は洋食メニューだけだったが、しだいにバリエーションは豊富になっていった。路線ごとの特色も打ち出されるようになり、東海道本線は琵琶湖湖畔を走ることから地場産品を使った「琵琶湖のしじみ汁」が人気メニューになった。
食堂車の隆盛は、同時に厨房の機材・調理器具の進化を促す役割も果たした。黎明期の食堂車は、石炭レンジで調理し食材は氷冷蔵庫で保冷した。
1951年には、“電気レンジ”が登場。それまでの石炭レンジは火力の調整が難しかったが、電気レンジの導入によって熟練の調理人でなくても短時間で料理が提供できるようになる。
スイッチ操作で調理ができる電気レンジは、調理担当から重宝される存在になり、その後の70年間にわたって活躍した。
東芝が開発した新型の電子レンジが、鉄道車内にお目見えするのは1961年。すでに電気レンジが登場していたこともあり、新型のレンジは区別する意味もあって“電子レンジ”と命名された。
電子レンジは、東京駅―大阪駅間を走る急行「なにわ」「せっつ」で試験的に導入される。調理担当からの評判も上々だったので、翌年から急行「彗星」で本格導入された。鉄道で華々しく活躍した電子レンジは、今や家庭内でもお馴染みになっている。
1964年に華々しく開業した東海道新幹線は、乗車時間が短いとの理由から食堂車ではなく簡易版のビッフェを連結。新幹線に本格的な食堂車が連結されるのは、山陽新幹線が博多駅まで延伸開業した1975年だった。
これは乗車時間が最大で約7時間まで拡大したことにより、きちんとした食事を提供する必要性が生まれたことが理由だ。
従来の食堂車は中央に通路があり、両端にテーブルが配置されている。当初の新幹線は通路を端に寄せて、テーブル席と通路との間に壁が立てられていた。これは通路を歩く人たちからテーブル席が見えないようにとの配慮だったが、外国人利用者からは「これでは富士山が見えない」と不評だった。そのため、窓を取り付けるなどの改造がなされた。
紆余曲折を経ながらも鉄道の供食サービスは進化を遂げ、そして終焉へと向かう。いまだ東武や近鉄の特急ではシートサービス・ワゴンサービスを継続しているが、列車内での飲食を取り巻く環境の変化は著しい。供食サービスが退潮する流れは変わらない。
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