総務省「東北新社・NTT接待問題」の根治に「電波監理委員会」を復活せよ
総務省の規制権限は「霞が関の標準」と比べ、とりわけ強力。電波という公共財をめぐる裁量と利権にメスを入れるには――。
総務省接待問題は、東北新社だけでなくNTTにも広がった。残念ながら、総務省では公務員倫理の遵守意識が薄れ、利害関係者との違法な接触が広がっていたのだろう。事実を明らかにして膿を出さねばならない。さらに霞が関全体で、官民や政官関係を規律するルールは改めて見直し、強化・徹底することも必要だ。
そして、より根源的な課題として、規制権限にも目を向ける必要がある。なぜ総務省でこんな接待が横行したかといえば、総務省には強力な規制権限があるからだ。それも、霞が関の標準と比べ、とりわけ強力な権限だった。
最後は“総合的”判断で決まるがゆえに……
そもそも許認可などの規制権限は、どこの役所でも共通して権力の源泉だ。かつて昭和から平成の初期、金融機関はMOF担をおき、大蔵省の官僚への接待を繰り返した。規制のお目こぼしや有利な取り計らいをしてもらえると期待したからだ。金融機関に限らず、多くの業界で所管官庁への接待は日常的になされ、所管官庁からの天下りも受け入れた。官庁との良好な関係維持は、民間事業者にとって死活的に重要だった。
規制権限は官僚にとって、対民間のみならず、対政治でも力の源泉だった。官僚は口利きでは政治家に無理を強いられる側なのでは、と思うかもしれないが、そうではない。口利きに応じることで、官僚は政治家に貸しを作れる。政治家は支援者などに恩を売れる。政官ウィンウィンで力を高める源泉が規制権限だった。
90年代以降、こうした癒着構造は問題視されるようになった。大蔵省接待汚職を契機とした「国家公務員倫理法」(1999年)、口利きを規制する「斡旋利得処罰法」(2000年)などが制定された。
並行して、癒着の源泉である規制権限の合理化・透明化も図られた。かつては「官僚の胸三寸の裁量行政」が幅を利かせていたが、「行政手続法」の制定(1993年)、細川護熙内閣以降に本格化した規制改革などで、「透明なルールに基づく行政」への転換が少しずつ前進した。裁量的なお目こぼしなどは、多くの行政分野で徐々に難しくなった。
そうした中、今日に至るまで強力な裁量的権限を維持してきた部門の一つが、通信・放送部局だ。根底には電波帯域の制約がある。モバイル通信も放送も、電波がなければ動かない。ところが電波の帯域は有限で、中でも、いわゆるプラチナバンドなど使い勝手のよい帯域はごく希少だ。
だから、通信・放送分野の許認可は、電波割当そのものをはじめ、多くが割当方式になる。つまり、利用可能な帯域が限られているため、認められる事業者の数はあらかじめ決まっている。限られた席の獲得を目指して事業者が申請し、総務省が割当を行う。こうした割当方式では、一定要件を充たせば認められる一般的な許認可と違い、官庁の力は格段に強大だ。
しかも、割当の判断基準は、必ずしも明快・透明ではない。これは、優劣つけがたい複数候補からどうしても誰かを選ばなければならない場合、最後は難しい判断になるためだ。
例をあげよう。今回の東北新社が認定を受けた衛星放送事業者の場合、事前に審査基準が公表されている(2018年「放送法関係審査基準」第7条、別紙3)。これをみると、一定の要件(広告放送が3割を超えないと明記するなど)を充たして同一順位になった場合、最後は「総合的」判断に委ねられる。「総合的に勘案し、最も公共の福祉に適合するものを優先する」とされ、判断要素は「放送番組の多様性(より放送番組の多様性の確保に資する)」、「放送番組の視聴需要(放送番組について視聴者の需要がより高い)」など15項目があげられる。
最後はこうした判断にならざるをえないわけだが、逆にいえば、こんな基準なら、結論先にありきで事業者を決め、あとから説明をつけるのも容易だ
もちろん、だからといって「東北新社は接待したので認定された」と決めつけるわけではない。しかし、強大で不透明な規制権限が、接待の横行、さらに官民癒着の温床になったことは否めない。それが重大な問題なのだ。
参考とすべきは「原子力規制委員会・規制庁」
今回の事態を機に、通信・放送分野の規制権限の抜本改革に取り組むべきだ。
解決策は2つある。
第1は、「ルールの透明化」。つまり、裁量の余地を極力なくすことだ。
長年議論されてきた「電波オークション」はそのひとつだ。詳しくは拙著『岩盤規制』(新潮新書)で章を割いて解説したが、日本の電波割当は「比較審査」方式で、総務省が審査し、割り当てるべき事業者を選んできた。しかし、役人が全知全能なわけではないし、癒着や政治介入の余地も生じやすい。そこで入札価格で決定する「オークション」方式が提唱され、90年代以降各国で導入が進んだ。今や日本以外の全OECD(経済開発協力機構)加盟国で導入されたが、総務省は拒み続けてきた。2019年電波法改正でようやく一歩前進し、「経済的価値を勘案した割当方式」が制度化されたものの、より透明な割当方式の模索が課題だ。
衛星放送事業者の場合は、電波割当ではなく、電波割当を受けた衛星運用事業者からのスロット(トランスポンダ)の割当だ。これも、「総合的判断」で不透明に決めるのではなく、オークションなどのより透明な方式に切り替えたらよい。総務省は電波オークションには強く否定的だが、トランスポンダ割当のオークションはそうでもなく、かつては真剣に検討され、規制改革推進会議でも議論したことがあった。当時は実現まで至らなかったが、今度こそ実現すべきだ。
第2は、「規制主体の透明化」。つまり、許認可の判断が官民癒着などで左右されづらい組織にすることだ。
参考になるのは原子力規制委員会・規制庁だ。従来の原発行政では、振興と規制の双方を同じ経済産業省が担っていた。しかし、福島第1原発事故後、これが規制の不徹底につながったのでないかとの指摘がなされた。そこで、規制部門を分離し、環境省のもとに原子力規制委員会・規制庁が設けられることになった。
通信・放送分野の場合、例えば、電波割当に関わる権限を分離するのが一案だ。その他の通信・放送行政は総務省に残しても、電波が有効利用されているかどうか外部から監視する仕組みにすれば、行政全体の透明化が期待できる。電波はデジタル社会の基盤だから、電波割当に関わる権限は「デジタル庁」に移管してもよいだろう。さらに、原子力規制委員会のように、独立規制機関として中立性・公正性を高めることも検討課題だ。
こうしたプランは、これまでも何度か「日本版FCC(米国の連邦通信委員会)構想」などの形で議論されてきた。最近では2017年、自民党行政改革推進本部(当時は河野太郎本部長)が電波割当に関する権限を総務省から分離することを提言した。
さらに遡れば、戦後初期のGHQ(連合国総司令部)統治下では「電波監理委員会」という独立規制機関が存在した。その後独立回復とともに廃止された経緯もあった。
今後、デジタル化の加速推進は日本の最重要課題のひとつだ。その基盤となる電波・通信分野が癒着状態を引きずっていたのではいけない。令和時代の仕様で「電波監理委員会」を復活させるべきだ。残念極まりない接待問題を、前向きな解決へと転じてほしい。