タカマツペア「高橋礼華」が語る「背が低かったから強くなれた」(小林信也)

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「母がバドミントンをやっていた関係で私も体育館について行って、初めてラケットを握ったのは小学校1年生の時でした」

 2016年リオ五輪のバドミントン女子ダブルスで金メダルを獲得したタカマツペアの高橋礼華が振り返る。日本バドミントン史上初の快挙を成し遂げた高橋だが、最初から五輪が目標ではなかった。

「小学校4年生の夏、奈良県代表になってジュニアの全国大会に出場しました。『全国大会に出られる、うれしい!』、そんな感じでした。私はそのとき身長が低くて、対戦相手がみんな大きい。こんな背の高い人に勝てるわけがない、最初はそう思いました」

 ところが予選リーグを3戦全勝で勝ち上がると決勝トーナメントも勝ち抜き、優勝を飾った。5年生、6年生の全国小学生大会でもシングルス優勝を果たし、一躍注目の的となった。

「でも私、ずっと小さかったんです。6年生の時も、142センチしかなかった」

 チビッ子の高橋が背の高い選手たちを翻弄し、誰も高橋を倒せなかった。

「小学生のころがいちばんバドミントンを楽しんでいたと思います。どうすれば身長の高い人に勝てるか。そればかり考えていました」

 ジュニアのころは、どのスポーツでも、体が大きく身体能力に優れた子が先に結果を残す傾向がある。が、高橋は違った。

「それが大人になっても、すごく役に立ちました。

 相手を見てプレーができる、その感覚は小学生の時に身に付けたと思います。大きい人たちは動きが遅い。足元が苦手な選手が多いと気がついた。そんなふうにいつも考えていたせいか、相手の弱点を見分けるのが速くなりましたね。

 小さいなりに、自分の良さをどう生かすかを考えて、すごく努力していました」

相手をあやつる感覚

 自分の強みはコートを縦横無尽に素早く動き回れること。そう悟った高橋は、時間があれば家の周りを走り、やはりバドミントン選手の妹・沙也加(現在は日本ユニシス所属)を相手に庭に張った簡易ネットをはさんで屋外で打ち合うなど、練習を重ねた。

「相手をあやつる感覚が小学生のころから自然に身に付いていました。それは身長が小さかったおかげだと思います。教えられたんじゃなく自然と身に付いた」

 高橋は中学進学の時に親元を離れ、宮城県の聖ウルスラ学院英智中学、高校でさらに実力を伸ばす。そして、1年後輩の松友美佐紀とペアを組むことになる。

「パートナー(松友)のことは小学生のころから知っていました。ずっと敵なしの選手でした。でも身長は小さくて、頭のいいプレーをしていました」

 二人の相性は、そこにあったのかもしれない。最初は即席のペアだったが、

「真ん中、ぶつからないな。どちらも手を出さない、ということもなかった」

 と高橋が振り返る。最初から、自然とコンビネーションはうまくいった。

「仙台にいる間に身長は20センチ以上伸びて165センチになりました。でも、世界に出たらやはり自分より大きな選手ばかりでした」

 松友と組んだダブルスで高校タイトルを次々に獲得。09年からは日本代表に選ばれ、海外に舞台が広がった時、高橋を支えたのは、「相手の弱点をすぐ見分ける力」と「相手をあやつる感覚」だった。

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