福島を「フクシマ」と表記することへの違和感 差別的なニュアンスが生じる危険性(中川淳一郎)

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 もうすぐ東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故から10年ですね。そして、メディアやSNSでは「フクシマ」という言葉が今後多数出てくるのかと思うとむかつきます。

 この「カタカナ話法」ってものは、「寄り添っていますよ」風のサヨクが使い、結果的に当事者を傷つけることもある実に無神経な話法です。日本の都道府県でこのカタカナ読みをされるのがどこかといえば、原爆を落とされたヒロシマとナガサキ。米軍基地問題を抱えているオキナワ。そして原発事故があったフクシマです。「ノーモアヒロシマ・ノーモアナガサキ」という言葉があるのと同様に「ノーモアフクシマ」もあります。

「フクシマ」については、WEDGE Infinityというサイトで福島出身・在住のライター、林智裕氏が「今こそ、なぜ『フクシマ神話』が生まれてしまったのかの検証を──事実を超越した言論が生み出した『冤罪』」という記事において諦観にも近い形で気持ちを表明しています。

〈現実は被災地を助けるどころか社会不安をますます煽り、攻撃し、被害に追い打ちをかけてくる人も少なくありませんでした。その象徴の1つが、特に原発事故後初期に多用された、カタカナ表記の「フクシマ」でした〉

 私は少なくとも、広島・長崎・沖縄・福島について言及する場合、モノカキとしてカタカナで表記する気にはなれません。ここで使った「モノカキ」という表現は、多分「自虐」が含まれていると思うんですよ。恐らく「作家」や「ジャーナリスト」とは、恥ずかしくて、おこがましくて自称できない人間が「売文屋」や「モノカキ」と名乗ったのでは、と考えています。漢字で「物書き」と書いてもいいのですが、これは分かりづらい言葉です。職業には見えない。

 何らかの差別意識や同情心、そして諸外国へのアピールから「カタカナ表現」は生まれるものです。だから、「国際都市トーキョー」「港町ヨコハマ」は成立する。これは差別的な文脈とは異なります。

 あとは、「海外メディアが日本人をこう報じた」という時もカタカナは使われます。たとえば、サッカーの英プレミアリーグ・サウサンプトン所属の南野拓実選手がゴールを決めた時は、「サッカーダイジェスト」というサイトはこう報じました。これは、「海外メディアも」南野を絶賛しているという文脈です。

〈この先制ゴールを地元紙『Daily Echo』も絶賛。「タクミ・ミナミノの魔法の瞬間が、セインツの悲惨なプレミアリーグ連敗を終わらせ、チェルシーを引き分けに追い込んだ」と大々的に報じている〉

 別にコレ、「南野拓実の魔法の瞬間が……」でいいんじゃねぇの? と思うんですよ。いや、「タクミ・ミナミノ」とするのならば「タクミ・ミナミノのマジコォー(マジカル)モーメントが」ぐらい書けばいいのに、なぜか、名前のみカタカナになる。

 メディアはこの「カタカナ使い」の基準、一度整理してガイドラインを作ってもいいのではないでしょうかね。正直「カタカナで地名を表記した場合は『差別的ニュアンスがある』」ぐらい書いてもいいと私は思います。そうでなければ福島他への差別は終わりません!

中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
1973(昭和48)年東京都生まれ。ネットニュース編集者。博報堂で企業のPR業務に携わり、2001年に退社。雑誌のライター、「TVブロス」編集者等を経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』等。

まんきつ
1975(昭和50)年埼玉県生まれ。日本大学藝術学部卒。ブログ「まんしゅうきつこのオリモノわんだーらんど」で注目を浴び、漫画家、イラストレーターとして活躍。著書に『アル中ワンダーランド』(扶桑社)『ハルモヤさん』(新潮社)など。

週刊新潮 2021年3月11日号掲載

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