【原発事故10年】日本人はなぜ取り憑かれたように原発を推進したのか(後編) アラブに追い詰められた東京電力
彼らは国策として原発を作り続ける
74年の1月下旬、通産省は石油統計速報で前月分の原油輸入量を発表した。それによると、73年12月の輸入は前月比で7%増えていた。インドネシアなど南方からは16・9%、供給を減らしたはずの中東からでさえ1・3%増えた。これは一体、どういうことなのか。
じつは危機の間、通産省は原油供給のシミュレーションを行ったが、
その際、洋上のタンカーの輸送量を間違っていた。海上保安庁も入港したタンカーの積み荷を把握しつつ、報告されてなかった。何と油は足りていた、日本は幻の石油危機に踊っていたのである。それだけではない。
当時の国内は、いくら金を払っても、絶対、原油を手に入れろという空気だった。そして大手商社は、イラン原油をバレル当たり17ドルの超高値で落札する。これが他の産油国を強気にさせ、更なる値上げを招いてしまった。被害者である日本が自分の首を絞めていた。これは、石油危機を検証した米議会報告や英外務省の機密解除文書でも確認できる。
まさに悲喜劇としか言いようがないが、それにより最も恩恵を受けたのは誰か。日本に原発を与え、燃料の濃縮ウランで生殺与奪を握ろうとした米国である。これらの経緯をフィクションという形で書いたのが拙著「臨界」(新潮社)だが、キッシンジャーをモデルにした人物の次の言葉で結んだ。
“幻の石油危機だろうが何だろうが、日本は原発推進に舵を切った。今後、彼らは国策として原発を作り続ける。われわれが与えた軽水炉をね。核武装の懸念もあるが、それは米国にとって朗報でもある……原発を推進すればする程、わが国の重要性は増す。これは対日外交上、強力な武器となる。”
ここまで見たように、福島第一原発の事故は根深く、複雑な歴史的背景を背負っていた。現代史が幾重に絡み合い、単純な白黒、二元論で片づけられない。まして原発推進は保守派の右翼で、反対は反日の左翼と批判するなど論外だ。
ここから、われわれはどんな教訓を学ぶべきか。それは軽々しく「絶対」と口にする者、特に専門家に用心しろ、ということだろう。
先に「軽水炉は絶対に安全だ」という東京電力副社長の言葉を紹介した。絶対に安全な原発などないのと同様、絶対の正義、正しい政策というのもない。ある危機が起きると、人は恐怖に震え、ある思想や手段にすがり易い。そして、ごく真っ当な疑問や慎重さに「対案があるのか」と凄み、冷静な思考を失ってしまう。
それは、あの昭和の戦争や、今の新型コロナウィルスの危機にも通じる。昭和の時代に救世主として生まれた原発が、平成に史上最悪レベルの事故を起こした。福島で廃墟のように聳える3基の原子炉、それは未来の世代への雄弁な戒めと言える。(終わり)
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