「話がうまい人」の3つの特徴 流暢さより大切なものとは?(古市憲寿)
経済学者のフリードリヒ・ハイエクは1975年に西山千明と行った対談の中で、「宿敵」ケインズについて、こんなふうに語っている。
「調子のいい時には比類ないほど上手な文章を書き、しかもすばらしい声の持ち主で、彼の講演は人の心をひきつけずにおかない魅力的なものでした。それらを駆使して人を説得する、抜群の説得力を持っていたのです」(『新自由主義とは何か』東京新聞出版局)
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ハイエクはケインズ経済学を真っ向から批判する。曰く、ケインズは1930年代の世界恐慌の時にのみ有効だった解決策を、一般理論として主張してしまった。ケインズより16歳年下だが、ハイエクは何度も論争を仕掛け、ケインズの死後も、その理論を痛烈に批判している。
そのハイエクが、ケインズの「文章」と「声」に注目しているのは興味深い。
教科書に掲載されるような学者は、純粋にその知性や理論が評価されたと思われがちだ。実際、偏屈で他人との交流を嫌う孤高の研究者もいるだろう。数学の難問であるポアンカレ予想を解決したペレルマンも、ほとんど人前に姿を現さないことで有名だ。
しかし通常、研究にはお金がかかる。企業や公的機関を説得して資金を調達するなら、研究者は偏屈な人嫌いでは務まらない。実際、iPS細胞で有名な山中伸弥さんのスピーチなんて、いつもユーモアに溢れている。
偉人の多くは、人物としても魅力的だったのだろうと思う。よくも悪くも、同時代の人が噂をしたくなるようなエピソードに溢れていたのだろう。
僕の経験上も、ヒットメーカーは実際に会っても面白い人ばかりだ。朴訥とした語り口であろうとも、話す内容が知性やアイディアに満ちている。正直、「会ってつまらない」にもかかわらず「成果物が非常に素晴らしい」という人物に遭遇したことはない。
もちろん「面白い」や「つまらない」は受け手の主観だ。声や見た目などの特性に影響を受けている可能性は大いにある。もしもケインズが下手な文章しか書けず、ひどい声だったら、これほどのビッグネームになれたかは不明だ。
しかし声や見た目を変えるのは難しくても、話し方は変えられる。
僕なりに「話がうまい」を要素分解してみると、(1)当意即妙に振る舞える、(2)知識が豊富、(3)論理的に話せる、となる。テレビタレントが得意な(1)の能力ばかりが「話がうまい」ともてはやされるが、実際には(2)も(3)も重要だ。特に(2)の知識などは、後天的に身につけやすい。(1)はできるに越したことはないが、飲み会やクラブハウスでは重宝されても、人生に絶対に必要な能力ではないだろう。
薄っぺらなコンサルタントのように、淀みなく、自信満々に話ができる人に憧れる必要は決してない。約20年前、大学の入学式でOB代表として、とある男性が流暢なスピーチをしていた。流暢であったこと以外、内容を一つも思い出すことができない。