「港人治港」から「愛国者治港」へ解体される香港「一国二制度」

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全人代で香港の選挙制度変更が議論されている。そこで中国が掲げる「愛国者治港」というスローガンが物語るのは、民主派を徹底排除した共産党支持者=愛国者だけによる統治体制に等しい。民主化を求め、立法会での過半数確保を目指していた民主派は、一転、「愛国」の大きな壁に直面することになった。

 

 3月5日に開幕した中国・全国人民代表大会(全人代)で、香港の選挙制度の変更が議論されている。11日の最終日に議案「香港特別行政区選挙制度の完整に関する全人代決定」が可決される見通しだ。

 そうなれば、2020年6月の国家安全維持法の導入によって危機に直面していた香港の「一国二制度」が、事実上の解体に向かう公算が高まる。鄧小平が示した「港人治港(香港人による香港統治)」は、習近平による「愛国者治港(愛国者による香港統治)」によって取って代わられようとしている。

「港人治港」の終焉を象徴する一幕

 今回の選挙制度変更に絡んで数カ月前から中国側が打ち出してきたスローガンは、「愛国者治港」という言葉だ。

 文字通り「愛国者が香港を統治する」という意味だが、「国」が中国共産党による統治体制を示していることは言うまでもない。つまり、反中国的な言動を弄する者が香港の統治体制に影響を及ぼすことは許さない、という北京側の決意を示している。

 全人代常務委員会副委員長の王晨は、全人代で同議案について演説した際、「愛国者」という言葉を10回ほど用いた。

「制度メカ二ズム上、『愛国者治港』の原則を全面的に貫徹、体現、実現させ、愛国愛港力量の手中に統治権をしっかりと握ることを確保する」

 と述べるとともに、香港での教育において愛国精神を根付かせると誓った。変更後の選挙方式について、「中国の特色ある社会主義」に模して、「香港の特色ある選挙制度」という呼び方も現れている。

 1997年の香港返還のときのスローガン「港人治港」は、中国共産党が返還後の香港を社会主義化するのではないか、という香港人の恐怖を打ち消そうと、最高指導者である鄧小平の肝いりで香港人を安心させるために掲げたものだった。

 実態としては、経済人を中心とする香港統治デザインであり、「商人治港」であると言われた。初代の行政長官に任命されたのは船舶ビジネスを手がける董建華であったが、その董建華が今回の全人代の開幕式典で誤って転び、地面に倒れこんでしまったのは、まるで「港人治港」の終焉を象徴するような一幕だった。

 鄧小平も「愛国者を主体とする香港統治」に言及したことはあるが、中国への反対意見を排除するニュアンスは薄かった。一方、今回打ち出された「愛国者治港」は、「愛国者」ではない者(=民主派)の排除を目的に選挙制度を作り変えるものだ。

 そこには、返還以来、香港の民主派たちが確保してきた香港政治における影響力をゼロに近い状態にしようという狙いがあり、民主派は「返還以来最大の打撃になる」との声が上がっている。

立法会は形式的な「ゴム印会議」へ

 選挙制度の具体的な変更内容はまだ正式には発表されていない。全人代代表大会が11日に「決定」を採択したあと、詳細が遠からず発表される。香港の親中派メディアの報道や親中派関係者の発言を総合すれば、おおよそ以下のような変更が行われそうだ。

 まず、立法会議会の定員は、現在の70議席から90議席に増やされる。内訳として、これまでは、業界の職能別議席35と、直接選挙議席35だったが、職能別を30議席に、直接選挙を20議席に減らし、新たに40議席が追加される。この40議席枠の名目ははっきりしないが、基本的に親中派で占められると見られ、立法会で民主派が絶対に主導権を取れないようにする狙いがある。

 一方、間接選挙で行政長官を選出している選挙委員会のメンバーも現在の1200人から1500人に増員される。こちらも親中派の枠を増やして、民主派が間違っても行政長官選びに影響力を持つことがないように鉄壁の守りにする構えだ。

 これまで、香港の選挙制度は基本的に親中派が有利になるように制度設計されていたが、このところの選挙ではそれでも親中派は勢力を伸ばせず、市民から広く支持を受けている民主派の優勢が目立っていた。

 現在、民主派は、立法会の職能別選挙ではおよそ3分の1、直接選挙では半数程度の議席を獲得できており、香港政治には「与党」と「野党」との間の民主主義的な緊張感が存在した。

 今回の選挙制度変更は、その緊張感を失わせ、香港の立法会は、全人代のような当局方針を承認するためだけの「ゴム印会議」の場となりかねない。

中国が選挙制度の変更を急いだ背景

 中国がこの選挙制度改革に着手した背景には、民主派の選挙戦略が関わっている。

 2019年春から逃亡犯条例改正案を機に街頭での抗議行動が激化したが、それでは香港政府の強硬姿勢を変えられないと見た民主派は、党派を超えた協力体制を作ることで、合法的に選挙を通して現状を変えていく路線を打ち出した。2020年9月に予定されていた立法会選挙で、民主派候補を戦略的に候補者調整することで立法会の過半数(36議席)を確保することを目標にしたのである。

 立法会の過半数を取れば、香港政府の議案に抵抗できるうえ、行政長官選挙に際して選挙委員会により多くの立法会推薦枠を参加させられる。2019年11月に民主派が圧勝した区議会推薦枠とあわせて多くの委員を出すことが可能になり、行政長官選挙を左右できるような力を持てるという目算だった。

 民主派としては現制度の範囲内で戦っていこうというスタンスであったが、中国側はこれを香港支配への挑戦と受け止めた。立法会選挙は新型コロナ対策を理由に延期され、選挙制度の変更を急いだようだ。

 選挙制度の変更のなかでは、立法会や区議会の候補者自体の資格を審査する仕組みも設けられると伝えられている。香港の民主派のなかには「今後は一人も民主派を立候補させない可能性がある」と悲観する声も上がっている。また現状で民主派が圧倒的多数を占めている区議会から立法会や選挙委員会に割り当てられている推薦代表枠も廃止される可能性がある。こうした変更の整備は相当な規模になるため、今年9月の立法会選挙を再延期するとの観測も広がっている。

 いずれにせよ、香港の選挙制度全般が見直され、民主派に主導権を絶対に渡さず、「愛国者」の選出に圧倒的有利になるよう徹底的に考え抜いた制度になるはずである。

「反中乱港」というロジック

 これらの強硬措置を正当化するのが、「反中乱港(反中的で香港を混乱させる)」勢力の策謀で香港統治の安定が危うくなっているという中国側のロジックだ。

 立法会選挙が延期される前に候補者調整のために予備選を行なったことを理由に、今年2月、香港政府は民主派47人を国家安全維持法違反で一斉起訴した。選挙の勝利で香港の安全に危害を加えようとしたとの容疑が強引に入れられている。

 今回の選挙制度変更を、中国は「制度完整(制度を完全なものにする)」と称している。それはつまり「愛国者」(=親中派)が勝利するため、万が一にも失敗のないような制度にするという意味である。 

「高度な自治」に基づく「一国二制度」は国際公約であり、香港の人々への約束でもあった。それを解体させるような変更を無理やり北京から押し付ける手法は、香港の民主派やその支持者だけではなく、国際世論も到底納得させることはできないだろう。

 

野嶋剛
1968年生れ。ジャーナリスト。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、シンガポール支局長や台北支局長として中国や台湾、アジア関連の報道に携わる。2016年4月からフリーに。著書に『イラク戦争従軍記』(朝日新聞社)、『ふたつの故宮博物院』(新潮選書)、『謎の名画・清明上河図』(勉誠出版)、『銀輪の巨人ジャイアント』(東洋経済新報社)、『ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち』(講談社)、『認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾』(明石書店)、『台湾とは何か』(ちくま新書)、『タイワニーズ 故郷喪失者の物語』(小学館)、『なぜ台湾は新型コロナウイルスを防げたのか』(扶桑社新書)など。訳書に『チャイニーズ・ライフ』(明石書店)。最新刊は『香港とは何か』(ちくま新書)。公式HPは https://nojimatsuyoshi.com。

Foresight 2021年3月10日掲載

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