ひろゆき氏「古文・漢文オワコン」論に賛否 識者が語る“古典を学ぶべき高校生”は?
欧米はラテン語
評論家の呉智英氏は、中国古典の該博な知識でも知られている。特に1988年から2005年まで論語の公開講座を開き、その内容は『現代人の論語』(ちくま文庫)としてまとめられた。
呉氏は、ひろゆき氏の指摘をどのように受け止めるのか、取材を依頼すると、「どのような将来設計を高校生が抱いているかに応じて、古典の授業を見直してもいいかもしれません」と語る。
「卒業生の大半が就職する高校なら、確かに漢文だけでなく、古文も勉強する必要はないかもしれません。ひろゆき氏の言うように、空いた時間でパソコンを学ぶ授業を増やしたほうが、生徒のためになる可能性はあります」
一方、「それなりの大学に進学し、将来は企業の正社員として、組織の中核で働く」ことを目標とする高校生なら、学校の授業や受験勉強で古文だけでなく、漢文も学ぶ必要があると呉氏は指摘する。
「欧米の上流階級やエリート層の子弟は、必須教養としてラテン語を学びます。それは彼らが使う英語やフランス語、ドイツ語の源流にラテン語があるからです。自分たちが使う言葉を深く知り、より自由に使いこなすためには、古典の知識が不可欠なのです」
弁護士と漢文
「偶然ノ輸贏ニ関シ財物ヲ以テ博戯又ハ賭事ヲ為シタル者ハ五十万円以下ノ罰金」──これは旧刑法の「賭博罪」から引用した一文だ。
文体は漢文体で、おまけに「輸贏(しゅえい/ゆえい)」という難しい単語も使われている。勝ち負けを意味する言葉だ。
輸贏のうち「贏」が「勝ち負け」を表すが、なんと「輸入」の「輸」には「負ける」という意味もある。ギャンブルで負け、カネをごっそり“輸送”されるというわけだ。
現在の刑法は1995年に口語体へ改められたが、それまでは法曹家でも漢文の素養が必須だったことが浮かび上がる。
その状況は今でも変わらない。弁護士だけでなく、銀行やIT産業で働くにしても、漢文の知識は役に立ちこそすれ、害にはならない。
そもそも「経済学」や「経済学部」といった「経済」という言葉は、福沢諭吉(1835~1901)や、津田真道(1829~1903)が「economy」の訳語として考案したものいう説が根強い。
語源は「経世済民」で、「世を治め、民の苦しみを救う」という意味だ。中国の儒学者、王通(584~618)の「文中子」礼楽篇などが出典と言われている。
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