ドキュメント3・11 イギリス大使館はなぜ「真実」を見抜けたか(中)

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福島第1原発の事態は、チェルノブイリ並みの深刻度「レベル7」も指摘された。フランスが発した避難勧告を皮切りに、各国外国人コミュニティーに動揺が広がって行く。しかしイギリス大使館は「首都圏から避難の必要なし」と結論を出した。

 英国以外の国の3・11での対応はどうだったか。

 福島第1原発の原子炉の冷却が見通せないなか、多くの国は「東京も危ないのではないか」と疑心暗鬼になり、さまざまに浮足立った行動へと走り出す。

 1つの契機は、世界の核関連活動を監視する米シンクタンク、科学国際安全保障研究所(ISIS)の発表だった。2011年3月15日、福島第1原発の事故の深刻さを国際評価尺度で上から2番目の「レベル6」に近いとし、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故と同じ最悪の「レベル7」に達する可能性もあると指摘した。

日本脱出の動きが広がる中で

 主要国でフランスが最初に自国民に首都圏から避難するよう勧告した。また日本からの脱出を希望する自国民のため、特別機を羽田空港や成田空港に送り込んだ国はフランス、チェコ、フィリピン、キルギスなど10カ国を超えた。パニックになった外資系企業の外国人の幹部と従業員が挙って日本を離れ、企業活動がマヒするところもあった。

 大使館機能を東京から関西に移し、大使以下、大挙、東京を離れた国も、震災2週間の時点で私が数えると25カ国に上った。ドイツ、スイス、フィンランド、オーストリアなど原発問題に敏感な欧州を中心に、パナマ、ベネズエラ、グアテマラ、アラブ首長国連邦(UAE)などの国も。日本語を話すドイツの知日派大使のフォルカー・シュタンツェル氏は大使館機能を関西に移すことに強く反対したといわれる。しかし独政府の指示に折れざるを得なかった。

「大使は本国の決定に怒っていた」

 と知り合いの駐日外交官は私に語っていたが、ドイツ国内の反原発の世論を政府も無視できなかった。

 一方、イタリア、カナダ、スペインのように、メディアを通じて東京での業務継続を正式表明した国もあった。イタリア大使館のヴィンチェンツォ・ペトローネ大使は

「友好国が困難な時に、我々は東京に残って連帯を表明する」「在日のイタリア企業は日本経済を助けるため、業務を中止しないでほしい」

 との声明を出した。スペイン大使館は

「自国民と日本国民のあらゆる支援の要望に応えるため業務を継続する」

 と表明した。イタリア、スペイン大使館は3日間にわたって半旗を掲げた。

 日本外務省の大使OBは、

「東京にとどまって日本に連帯を示すのが出先の大使館の役割だ。私は関西に逃げた国を忘れない」

 と怒った。後日、フランスのフィリップ・フォール大使は日本の新聞とのインタビューで、フランス人が日本を大量脱出して企業の業務を停滞させたことに、

「大使館は一切、日本からの脱出を指示してないが、混乱を招いたことをお詫びしたい」

 と謝罪することになる。

想定し得る最悪の事態を明示

 こうした各国のドタバタのなかで、英国がブレなかったのは駐日大使のウォレン氏と、本国の緊急時科学助言グループ(SAGE)の存在が大きかった。SAGEは英政府の首席科学顧問を務めていたサー・ジョン・ベディントン教授を委員長に、刻々と変わる放射線濃度、風速、天候などのデーターを分析し、一般人の放射能汚染リスクについて、

「原発20キロ圏外であれば人体に問題ない」

 と、英政府の危機管理委員会(COBRA)に報告していた。日本政府の「20キロ圏外への避難」の指示を妥当なものとしたのだ。ただ日本政府が科学的、論理的な根拠を明示しなかったのに対し、SAGEは「想定しうる最悪の事態(Reasonable Worst Case Scenario)」も示した。これはデビッド・キャメンロン首相から、

「在日英国人を東京から避難させる必要があるだろうか」

 との質問を受けてSAGEが導き出した。

 ベディントン教授はSAGEの専門家たちと、放射線量の増加により福島第1原発への人の介入が不可能な状態になり、原発が全機メルトダウンを起こすという悲観的な局面に追い込まれ、かつ東京方面に風が吹き続けるという最悪の想定をして検討した。しかしそのような状況においても東京の放射線量は極めて小さく、東京から英国人を避難させる必要はないとの結論に達し、首相に伝えられた。

 この報告は在英大使館のホームページに全文掲載されるとともに、ベディントン教授は3月15日を皮切りに計4回、オンラインで英大使館とつなぎ、在日英国人コミュニティーと対話する機会をもった。これらの記録や議事録も即時にソーシャルメディアなどを通じ共有された。日本の首相官邸もこれをリツィートしている。

「科学的知見」と「政治判断」の衝突

「想定しうる最悪の事態」が示されたことで、一般の人々にとっても最悪の場合、どう行動すべきかを判断する材料となった。在日外国人ばかりでなく、日本人にとっても大いに役立った。当時、私も英大使館のホームページを参照していたが、科学的かつ論理的で信頼性があった。情報が錯綜し、メディアで伝えられる事柄に対する信頼が揺らいでいた時である。「東京は安全で避難は不必要」「窓を閉めて家の中にいれば大丈夫」との同教授の説明はどれほど心強かったか知れない。日本の世論に直接働きかけるパブリック・ディプロマシー(広報文化外交)で英国は出色だった。

 ただ科学的知見と、これを踏まえてどう政治判断するかは別の問題だ。原発の冷却が見通せず、原子炉内の圧力が高まっていた3月16、17日、キャメロン英首相がウォレン氏に、

「英国民を首都圏から避難させるべきではないか」

 と連絡してきた。本国ではメディアが、

「他の欧州の国が自国民を日本から避難させているのに、英国はなぜ動かないのか」

 と突き上げていた。ウォレン氏は、

「科学的な根拠もなく、慌てて自国民を首都圏から避難させることに私は否定的だった」

 と言い、首相や外相にも意見具申した。しかし本国との調整の上で、次のような含みをもった告知を大使館のサイトにアップした。

「積極的には勧告しないが、英国民は東京を離れることを念頭においてもいい」

 それでもウォレン氏は個人的には「東京から避難する必要はない」との立場だった。3月20日、大使はBBCテレビのインタビューを、「東京は安全」とのメッセージを込めて大使館の庭で受けた。英政府は「日本を離れたい人のために」とチャーター機を日本から香港に飛ばしたが、乗った人は少数だった。英大使館が発信し続けたSAGEの科学的知見を、多くの英国人が参照した効果だとウォレン氏は見ている。

20日で25回のインタビュー

 原発の危機が遠のいた3月末、大使は英政府と協議し、緊急事態を解除した。3・11からの20日間に、ウォレン氏がこなしたメディアとのインタビューは25回を数えた。

 3・11から4年目の2015年3月、英国のウィリアム王子が来日し、4日間の滞在中、2日間にわたって宮城県石巻市、女川町、福島県内などの被災地を訪問し、被災者と交流。郡山市の磐梯熱海温泉の旅館に1泊した。安倍晋三首相も王子の宿泊先で歓迎夕食会をもち、感謝の意を表わした。被災地を日帰りで訪れた外国要人はいるが、1泊した要人は初めてだった。しかも王子は王位継承第2位である。

 2019年3月にロンドンの日本大使公邸でウォレン氏に対する叙勲式が行われた時、鶴岡公二駐英大使は3・11での英国の日本に対する揺るぎない友好的な姿勢がウィリアム王子の被災地訪問に結びついたと指摘した。今日、日英両国は政治、経済、安全保障の分野で「新・日英同盟」と形容されるほど緊密な関係を築いている。3・11がこのスプリングボードの役割を少なからず果たしたと見てもさして間違いではない。

                              (肩書は当時/続く)

西川恵
毎日新聞客員編集委員。日本交通文化協会常任理事。1947年長崎県生れ。テヘラン、パリ、ローマの各支局長、外信部長、専門編集委員を経て、2014年から客員編集委員。2009年、フランス国家功労勲章シュヴァリエ受章。著書に『皇室はなぜ世界で尊敬されるのか』(新潮新書)、『エリゼ宮の食卓』(新潮社、サントリー学芸賞)、『ワインと外交』(新潮新書)、『饗宴外交 ワインと料理で世界はまわる』(世界文化社)、『知られざる皇室外交』(角川書店)、『国際政治のゼロ年代』(毎日新聞社)、訳書に『超大国アメリカの文化力』(岩波書店、共訳)などがある。

Foresight 2021年3月9日掲載

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