高田馬場「ミャンマー料理屋」店主が語る“祖国のクーデター”と意外な軍への抗議方法

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数千人の犠牲者

「高田馬場がリトル・ヤンゴンになったのは、1988年の国軍クーデターがきっかけでした。当時、民主化運動が活発でしたが、国軍がこれを徹底的に弾圧したのです。正確な記録は残っていませんが、数千人の犠牲者が出たと言われています。そのため、国外へ逃亡するミャンマー人が続出。日本へも多くのミャンマー人が入国しました。私も逃れるように、日本へ留学しました」

 ミャンマー人は当初、ミャンマー人の僧侶の寺がある西武新宿線の中井駅周辺に集まった。その後、高田馬場に拠点を移したという。高田馬場駅前にあるビル「タック・イレブン」には、ミャンマー料理店の他、雑貨店、カラオケ、美容院、マッサージ店もある。

 ところが、2015年の総選挙で与党のNLDが圧勝し、事実上のアウンサンスーチー政権が誕生すると、帰国するミャンマー人が増えたそうだ。

「民主化が一気に進められたため、帰国する人が増えたのです。しかし、今回再びクーデターが起きてしまった。そのため、銀行は営業停止、商店も閉鎖しています。ミャンマー経済は大打撃を被り、さらに貧困層が増えるでしょう。国連は、国軍に圧力をかけてはいますが、常任理事国である中国が国軍と関係が深いので、完全な包囲網にはなっていません。欧米のどこかの国が国軍と交渉して、早く元の政府に戻してもらいたいです」

 日本在住のミャンマー人は、今回の国軍クーデターに抗議するため、大規模なデモを行っているという。

「週に3日の割合で、品川のミャンマー大使館前や、国連大学、霞が関などでアンウンサンスーチー氏の釈放を要求するデモを行っています。うちの店の若い店員にも参加してもらっています。1000~3000人規模のデモです」

 スーチー氏についてはどう思うか。

「クーデターが起こるたびに軟禁され、それでも頑張って民主化を推し進めようとしている。彼女の忍耐力にはいつも頭が下がります」

デイリー新潮取材班

2021年3月9日掲載

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