「あのときロープを切って逃がしてやれば…」 福島原発後、人影の消えた街に残された動物たちの姿

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路上に残された犬たち

 福島第一原発の事故後、原発から3キロ圏内に出された避難指示は、その後20キロ圏内まで拡大。突如として無人となった街には、行き場を失った犬たちや牛舎で飼われていた牛たちが残された。震災から3週間後、現地を訪れたカメラマンが目撃したものとは――。

(「週刊新潮」別冊「FOCUS」大災害緊急復刊より再掲)

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 町から全ての音が消えていた。静まりかえった大通りに聞こえるのは、強く吹きつける風の音だけ。片側1車線の道路のセンターライン上に、1匹のシベリアンハスキーが寝そべっていた。そこに歩道から雑種が1匹、どこからともなくまた1匹。いずれも首輪をつけている。集まってきた3匹の犬たちは、「原子力明るい未来のエネルギー」と書かれたアーチを背に、何かを問いかけるように、こちらを見つめていた。

 震災から3週間後の福島票双葉町。東電福島第一原発の地元の町である。

 第一原発から、双葉町商店街の始点を示すこのアーチまで約4キロ。道路の先には双葉駅がある。しかし、このメインストリートには、人の姿も車の影もない。震災当日、原発から3キロ圏内に出された避難指示は、翌12日には10キロ圏内に拡大。さらに20キロに拡大され、双葉町の7千人の住民は町を離れた。路上に残されたのは犬たちだけ。餌を投げると、群がって争うわけでもなく、静かにひと口ずつ食べていた。野犬化の兆しは見えない。どこかで食べ物を得ているのか、あるいはそれほど衰弱しているのか。

避難指示圏に入っていく人も

 福島県の内陸部から双葉町に向かうルートは、富岡街道、都路街道と呼ばれる2本の国道に分かれる。いずれも自主避難区域の境界である30キロ地点に、警察の検問所が設けられている。「危険10キロ先 立入制限中 福島県警」と書かれた立て看板と、数人の警察官。行き先と目的を聞かれるが、取材でそれなりの装備をして来ている旨を告げると、20キロ圏内には入れないと言われただけで、制止されることはなかった。「どうしても必要な薬を取りに戻ると言われれば、こっちは何も言えないよ」とも聞いた。

 双葉町の北に位置する浪江町に入り、避難指示圏の20キロポイントが近づく。しかし「立入禁止」の看板が立つのみ。警官の姿は見えない。看板も道路の片側を塞ぐだけで、実質的に通行は自由。地元の住民なのか、2台の車が手慣れた運転で、戸惑う様子もなく20キロ圏内に進入して行った。荷物を取りに来たのか、家や家畜の様子を見に来たのか。ほかにも数台の車とすれ違う。車中は誰もがマスク姿で、せきたてられるかのようにスピードを上げて走り去った。

ロープに繋がれたまま残された牛たち

 取り残されたのは犬だけではない。第一原発から約10キロほど入った、民家の敷地内に牛舎を見つけた。声をかけるが応答はない。牛舎に足を踏み入れると、鼻をつく異臭がする。暗がりに自が慣れると、十数頭の牛が、あるいは蹲り、あるいは立ち尽くしていた。いずれもほとんど動かない。よく見ると、手前に寝そべった牛には、目玉がなかった。鳥か何かに突かれたのだろう。寝ているように見えた牛の6頭が死んでいた。

 異臭の正体は、牛の死臭だったのだ。民家の屋根瓦は庭先に落ちて割れ、網戸は外れていた。住民は急いで避難したのだろう。牛舎の外の庭にまで、牛の糞が散らばっていた。中には踏まれたように潰れたものもあった。

 牛舎内部の柱には、洗面器のような容器が取り付けられている。水飲み用だったのだろうが、いまはすっかり空っぽで干からびていた。牛舎の入口付近には干草も散らばっているが、糞まみれ。死んだ6頭は、飢えで死んだのか、渇きで死んだのか。気がつくと、ゆっくり口を動かして、糞を食べている牛がいた。

 牛たちは、2本のロープで柱と柱の間に結わえられていたらしい。中には1本のロープのみで、首を支えられるようにして死んでいる牛もいた。ちぎれたロープだけが柱にぶら下がった、空いた柵もあった。飢えと渇きから逃れようと必死にもがき、最後の力でロープを引きちぎって逃げ出した牛もいたのだろう。

 突然、1頭の牛が、シャッターを切るカメラマンの右腕を舐めた。驚いて振り向くと、牛と目が合った。くりくりっとした、人懐っこい目だった。

「あとになって考えると、あのときロープを切って、逃がしてやればよかったのかもしれない。餌も水も尽きて、どんなに空腹で喉が渇いていたことか。せめて自由にしてやっていたら……。あのときは撮影に精一杯で、気が回らなかったのが悔やまれます」(撮影したカメラマン)

無人の街で目撃したものは

 浪江町の中心部には、震災の痕跡がそのまま残されていた。切れた電線が斜めに倒れかかった電柱から垂れ下がり、道路は至るところに陥没や亀裂。崩れた建物が道路を塞いでいるかと思えば、なぜか信号だけが規則正しく点滅していた。コンビニの棚には3週間前の弁当が並び、ペットボトルや缶飲料が横倒しのまま、ケースにあふれている。薬屋の軒先の商品棚も倒れて、品物が散乱していた。シャッターを降ろす間もなく無人と化した商店街が、避難の慌しさを窺わせる。

 商店街にも住宅地にも、誰ひとり歩いている人の姿はなかった。路上に残されたのは、この町でも犬だけ。犬小屋のある瀟洒な家屋の前の路上に、首輪をつけた犬が「伏せ」の姿勢を取っていた。かたわらの一組のサンダルには、飼い主の匂いが残っているのだろうか。よく躾けられた犬なのか、じっと動かずに、主を待っているようだった。

 浪江町の臨海部、請戸地区。漁港のあったこの地区では、逆さまになった建物にのしかかるように、漁船が横倒しになっていた。ありえない光景が、あの日以降、不思議ではない光景になってしまった。遠くそびえる鉄塔は、第一原発の排気筒である。ここでも聞こえるのは、西から吹く風の音だけだった。

 帰路につこうとしたとき、双葉町の畑に囲まれた集落で、また1匹の白い大型犬を見かけた。車を止めると、犬は尻尾を振って、まっしぐらに駆けてきた。

 車の周囲を走り回り、離れようとしない。車を出そうにも、危なくて動かせないほど。食べ物をやろうとしたが、与えられるものが何も残っていなかった。隙を見て車を動かすと、犬は無邪気に追いかけて来る。スピードを上げても、全速力で数百メートル追いかけてきた。ミラーに映る犬の姿が小さくなっていく。飼い主がこの町に帰って来られるのは、いつの日だろうか。

2021年3月8日掲載

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