「なにもできない父親でした」 原発事故後「自殺した酪農家」の今も消えない壁の遺言
代金滞納でガスも止められて
私はバネッサさんを取り巻く人間関係を洗っていくうちに、菅野さんの死が一向に浮かばれない現実をまざまざと見せつけられたような気がした。バネッサさんに群がる人間たちの欲望、そして嫉妬心。そんな醜い姿を目の当たりにすると、菅野さんの死とは一体何だったのだろうかと思わずにはいられなかった。
バネッサさんの生活はといえば、子どもが生まれたためにクラブでの仕事を辞め、子育てに専念していた。しかし、遺族年金や児童扶養手当だけでは生活が苦しいと嘆いていた。
「子どもがだんだん大きくなる。生活のためにいろいろと買う。電気代、水道代、電話代、食費……。大変よ」
ガス代金に至っては4カ月も滞納していた。彼女が野菜の炒め物をする直前まで、実はガスの供給を停止されていたのだ。代わりに私がガス屋に電話をすると、
「ガスの支払いが3万7888円残っていて……」
と言われたので、一部を支払うからガスの供給を再開してくれと頼んだ。菅野さんが今も生きていれば、ここまでに困窮することはなかっただろう。だから今、バネッサさんはいち早く裁判を終え、東電から損害賠償を勝ち取りたかった。
弁護士によると、東京地裁による審理は早くとも年内、遅ければ来年春ごろまでは続く見通しという。
原発事故による自殺で、東電を相手取った損害賠償訴訟はこれまでに4件起きている。うち2件はすでに福島地裁からそれぞれ約2700万円、約4900万円の支払いを東電に命じる判決が確定している。この流れなら、バネッサさんに損害賠償金が下りる可能性はあるとみられるが、それはそれでまた新たな「遺産争い」が起きるのではないかと、私は勝手に想像せざるを得なかった。
「お父さんはやさしかったよ」
私がハンドルを握る車は、暗闇に包まれた山道を走っていた。久しぶりの運転での夜道は恐い。おまけに、助手席には小学4年生になるバネッサさんの次男を乗せていたから、余計に集中しなければならなかった。私たちはカブトムシを採りに行くため、山の方へと向かっていた。思えば昆虫採集など小学生の時以来だから、私にとっては30年ぶりである。
「カブトムシを採りに行こうか?」と冗談で言ったつもりだったのだが、次男があまりにも顔を輝かせ、バネッサさんも「一緒に行っておいで!」と言うので、引くに引けなくなってしまったのだ。
小学5年生の長男は乗り気ではなかったため、車の中は私たち2人だけ。目的地に近づくにつれ、次男の声が弾む。
「さてさてテンションはクライマックス! 最低でも10匹!」
山の中を何カ所か巡り、懐中電灯を照らしながら探し回ったが、「最低でも10匹」どころか一匹も採れなかった。それでも次男は嬉しそうで、この日のことを夏休みの宿題で出された日記に書きたいと言っていた。帰宅の途次、私は次男に父親のことについて聞いてみた。
「お父さんは優しかったよ。何でも買ってくれた。お父さんとお母さんも仲良すぎだった。喧嘩は見た時ないなあ。一緒にいた5年間でお父さんが怒ったのを一回も見たことないんだ」
私が初めて次男に会った時、クリスマス休暇でフィリピンに滞在中だった。その時は父親が亡くなった詳細についてよく分かっていないようだったが、あれからはや、三年半が経過した。
「お父さんはえっとね、住民を原発から守ろうとして死んじゃったの。それで何かチョークでこう書いてあったんだよ。『原発さえなければ』って。俺見たよ」
子どもは純真無垢だ。思ったことをストレートに言う。
「お父さんに会えれば会いたい。いろいろと話したい。宿題教えてよ! とか。漢字も教えてもらいたい」
「原発さえなければ」
私たちは夕食を取っていなかったので、コンビニに立ち寄り弁当を買った。助手席に座る次男は、牛丼弁当をむしゃむしゃ食べながら続けて言った。
「原発作った人には死刑を言い渡したい。だってさ、人の命亡くしたんだよ」
この時だけ、次男の声色が妙に悲しみを帯びているように聞こえた。
「それでさ、原発作った自分は普通に生きているんだよ。人の命が消えているのにさあ、自分は普通に生きているって何かおかしいと思うよ。だからわざと原発を作ったんだったらこの世の終わりだね」
原発さえなければ、私がこの次男に出会うこともなかった。原発さえなければ、私の代わりに父親が昆虫採集に連れて行っただろう。原発さえなければ、一家4人は幸せに暮らしていたかもしれない。
「原発さえなければ」
白いチョークで残された酪農家の遺言は震災から4年半が経過した今も、声なき声を発し続けている。
註)2015年12月、東京地裁での裁判で、東電と原告のバネッサさんとの間で和解が成立
[5/5ページ]