「なにもできない父親でした」 原発事故後「自殺した酪農家」の今も消えない壁の遺言
壁に遺された〈なにもできない父親でした〉
東日本大震災から10年。当時、福島第一原発の事故は地元酪農家たちを直撃。原乳は出荷停止となり、彼らは原乳を搾っては畑が真っ白になるほどに捨て続けた。ある54歳の酪農家は堆肥小屋の壁に遺言を残し、自殺。そのフィリピン人妻に保険金が入ると、彼女のもとにはさまざまな人間が群がっていった。原発事故は彼らの人生をどのように狂わせたのか。ノンフィクションライター・水谷竹秀氏によるルポ。
(「新潮45」2015年11月号より再録)
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