介護を通して得たのは夫婦間の「熟成」だった──在宅で妻を介護するということ(第20回)
「彼女を自宅で看取ることになるかもしれない」 そんな覚悟もしつつ、68歳で62歳の妻の在宅介護をすることになったライターの平尾俊郎氏。決して先行きが明るいわけではない。それでも介護を通して得た喜びもたしかにある。――体験的「在宅介護レポート」の最終回である。
【現在のわが家の状況】
夫婦2人、賃貸マンションに暮らす。夫68歳、妻62歳(要介護5)。千葉県千葉市在住。子どもなし。夫は売れないフリーライターで、終日家にいることが多い。利用中の介護サービス/訪問診療(月1回)、訪問看護(週1回)、訪問リハビリ(週2回)、訪問入浴(週1回)、訪問歯科診療(月1回)。
***
「施設に入所して何年か経つと、どんなに気をつけていても何割かは認知症を発症してしまう」と、取材した何人かの施設長がこぼしていた。
「在宅」もしかりなのか……。女房を家で看るようになって2年と2カ月。最近とみに、明らかに認知症と思われる物言いが増えてきた。四六時中そばにいて、これだけ密に会話していてもボケるものなのかと、「在宅」主義者の私を悩ませている。
つい先日のことだ。仕事に出かける前に声をかけると、「行ってらっしゃい。私も今日は出かけるよ、学校行く日だから」と、サラッと言う。一瞬固まる私。トイレにも立てない人間が出かける? 夢でも見たのか。
気をとり直して「学校ってどこの?」と聞くと、「高知(出身地)よ、友だちと待ち合わせしているの」。今にも起き上がって化粧でも始めそうな勢いだ。また“ワープしているな”と私は思った。2カ月ほど前からたまにあるのだ。
最初のうちは、バカを言うなとムキになって言い返したり、気味が悪くなって顔をまじまじと見たりしたが、ここへきて驚かなくなった。慣れというのは面白いものだ。しばらくこんな会話が続く。
「高知か、また急だね。飛行機で行くの、それとも新幹線?」
「いや、クルマで行く」
「そう、一人でクルマに乗るの大変だよ。着替えはどうするの、パジャマのままじゃまずいだろう」
「大丈夫、ベッドに寝たまま行くから」
「ふ~ん、ベッドも高速走れるんだ。便利になったね、でも、屋根がないと、ちょっと寒いぞ」
こんな感じである。こういうシュールなやりとりを続けているうち、女房もさすがに気づく。「あれ、なんかおかしいな。ベッドにタイヤついてないし」と。自分でも噴き出してしまい、お互いしばらく笑って一件落着。知らない人が見たら二人ともおかしいが、私、この種のやりとりが嫌いではないのである。
この間もこんなことがあった。手がかゆいというのでどこ?と布団をめくると、左の手の甲に黒い綿ぼこりが絆創膏のようにくっついていた。「なんだコレ」と私がそれをとると、「あっ、とっちゃダメ。そこから息してるんだから」とあせる女房。「ゴメン」と私は、そのゴミをすぐもとの場所に貼り直した。
かと思うと、「鼻毛、右鼻毛、鼻毛」とワケの分からないことを5秒に1回の間隔でしばらく言い続けたりする。おそらくラジオから流れた言葉に反応したのだろうが、聞いていて決して気持ちのよいものではない。後で聞くと、自分でもおかしいと思いつつ、口が勝手に動いて止まらないのだそうだ。
でも、しょっちゅうおかしいのではない。普段はいたって正常で、ときおり出る。だから私もさほど深刻には思わない。外に出る心配は皆無だからこんな呑気な対応ができるのだ。女房には悪いが、このときばかりは全介助のままでよかったと思う。
看護師さんに対応をほめられた
大声を出したり徘徊を繰り返したりする人もいて、認知症は「在宅」で看るのが非常に難しい病気だ。なのに、身体は元気なので介護保険の要介護度は低く、グループホームなどのサービスも十分受けられずに困っている家族がたくさんいる。
認知症の人は施設の取材でたくさん見てきたが、1度だけ街中で出会ったことがあった。早朝、新聞配達をしている私のバイクの前に、一人の老紳士が正真正銘のパンツ一丁で現れたのである。足元は裸足だった。
「私の家はどこでしょうか……」。服は着ていなくても、髪はボサホサでも、言葉遣いや柔らかな物腰から、現役時代はきっと大手企業に勤めていたのだろうと推察できた。
着替えの途中外に出てきてしまったのだろうか。すぐに状況を察した私は、着ていた読売新聞のジャンパーを裸の肩に着せ、バイクの後ろに乗せて近くの交番まで送り届けた。5時前で誰も見ていなかったが、異様な光景だ。奥さんがどれだけ心配しているかと思うと胸が詰まった、
女房の場合、「在宅」を始めるときから認知症が予測されていたので、唯一の認知症薬と呼ばれる「アリセプト」(アルツハイマー型認知症にいいとされる)が処方され、最初は5mg、最近では毎朝8mg服用している。
いまだ認知症に特効薬はない。アリセプトは、進行を抑えるクスリであって、認知症を治すクスリではないのだ。そんなこともあって、私の中では最初からある程度覚悟している部分があった。アルコールを飲み過ぎた代償として当然考えられる結末ではあった。
認知症の人がおかしなことを言っても、真正面からそれを否定したり、ましてや叱ったり責めたりしてはいけないと専門家は言う。きちんと聞いてやる(傾聴)ことが大事で、家族も役者になってときにはウソも必要だと。
その通りなのだろうが、私の場合、なんでもかんでも「そうだね」と聞いてやれるほど人間が寛容にできていないし、なんだか女房を病人扱いしているようでイヤだった。
そこで冒頭のやりとりになっていくのだが、この話を看護師さんやリハビリのスタッフにすると思いのほか評判がよい。「暗くならないですごくいい」とみんな褒めてくれるのだ。
考えてみると私たち夫婦は、というより私は、いつも自虐的なジョークを飛ばしながら女房の笑いをとってきた。片方が重い病気になってもおかまいなく、それは今も続いている。
「もう疲れた。いっそ殺したろか」──深夜、自分も眠いのにおむつ交換しなければならないときなど、私は捨て台詞を吐きながら、女房の首に本当に手を廻す。すると女房はキャッキャッと笑って、その日一番のうれしそうな顔をして喜ぶのだ。どっちもどっち。こんなんだからやってこれたのだと思う。
[1/2ページ]