若者に向けられる「黙って高齢者に協力しろ」 戦時下における若者の扱いとの共通点(古市憲寿)

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「若者」という言葉をよく聞く一年だった。

 テレビなどでは繰り返し渋谷の路上が映し出され、「若い世代の人出は減っていません」というナレーションが挿入される。若者が新型コロナウイルス感染拡大の元凶とされたのだ。

 石川県では飲食店でのクラスターが多発しているとして、2月12日に「『飲食』『若者』感染拡大特別警報」なるものが発令された。

 仮にある性別や特定の人種にだけ流行しやすい感染症が蔓延することがあったら、メッセージの発信方法には慎重になったはずだ。「女性感染拡大特別警報」や「黒人感染拡大特別警報」など炎上必至である。

 無症状の若者が、危機感なく街をほっつき歩いているからコロナの流行が止まらない。そう考えている人は多いだろう。しかし東京都の調査では、感染者に占める無症状者の割合は高齢者の方が多かったという。

 もしも若者が感染拡大の原因だというならば、コロナの収束も若者のおかげということになる。しかし感染者数が減少しても、「若者のみなさん、ありがとうございます」という声は聞こえてこない。それどころかテレビでは、未だに夜中に公園のベンチで酒を飲む若者たちまで批判的に報じる始末である。感染症対策として、戸外の活動はリスクが低いはずだけど。

 思い出したのは『絶望の国の幸福な若者たち』という本を書くときに調べた、戦時下における若者への対応だ。

 1938年、警視庁は喫茶店や映画館、ダンスホールで遊ぶ学生たちを一斉検挙した。いわゆる学生狩りである。当時の新聞読者欄には「安月給取りなど足許にも及ばぬようなメリケン好みのオーバー」を着たりして、「女と手を組んでのアベック闊歩」する学生批判が寄せられていた。

 しかし戦争に協力する限りにおいて若者は礼賛された。京都大学在学中に入営し、22歳で戦死したある若者は、その気持ち悪さに敏感だった。学生狩りの時に若者バッシングをしていた人が、学徒出陣を礼賛するというのだ。

 このように日本における若者は「都合のいい協力者」として扱われることが多かった。自分たちの意にそわない若者を「異質な他者」として糾弾する一方で、注文通りに行動してくれる若者を持ち上げる。しかし彼らはあくまでも名目上の協力者だ。戦時中であれば戦地に送られたし、現代であれば特段の補償もなく自粛が求められる。どんなに若者に寄り添ったように見えるメッセージも、要約すると「お前らは黙って高齢者に協力しろ」という場合が少なくない。

 当然ながら一口に「若者」と言っても内実は多様である。それでも「若者」バッシングが止まないのは、かつて誰もが若者だったからなのだろうか。憧憬と嫉妬が入り交じり、自分の中のネガを若者に投影してしまうのだろうか。

 僕自身、若者とは言いにくい年齢になった。来年あたりには、嬉々として若者批判でもしているのかも。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2021年3月4日号掲載

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