「給与デジタル払い」がこじ開ける「金融村」の奥座敷

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「デジタルマネーによる賃金支払い」(以下、給与のデジタル払い)解禁が急浮上している。厚生労働省が実現に向けて検討を進めているが、反面、解決すべき課題は多い。さらに、銀行業界は解禁に対して反発を強めている。給与のデジタル払いとはどのようなもので、どのような課題があるのか。

 2021年1月26日、『日本経済新聞』で「デジタルマネーによる賃金支払いが今春にも解禁される見込み」との報道がなされた。実は、給与のデジタル払いは2018年12月の国家戦略特別区域諮問会議で取り上げられたテーマだ。その後、2020年7月に閣議決定した「成長戦略フォローアップ」にも、決済インフラの見直し及びキャッシュレスの環境整備が盛り込まれたが、遅々として検討は進んでいなかった。

 ところが報道直後の1月28日、厚労省労働政策審議会労働条件分科会で「資金移動業者の口座への賃金支払について」がテーマに上がり、給与のデジタル払いについての具体的検討が始まった。

 現金による支給か銀行口座振込でしか認められていなかった給与の支払いが、今春にもデジタルマネー取扱業者に解禁されるというのは、銀行業界にとっては“寝耳に水”の出来事だった。

「ほぼ金利負担のない巨額資金」を失う銀行

 銀行は給与振込によって、ほとんど金利負担のない巨額の資金を集めることができ、それを原資に融資を行い、利益を上げている。その給与振込で得られる資金が、他社に流れることに銀行業界は反発を強めている。

「銀行口座は安全性が非常に高い。だがデジタルマネーは、2020年9月に大きな話題となったNTTドコモの『ドコモ口座』不正利用のように安全性に大きな問題を抱えている」(メガバンク関係者)。

 ただ、海外ではすでに多くの企業が給与支払いにデジタルマネーを利用している。例えば、ウーバーイーツでは給与支払い専用のプリペイドカード「ペイロールカード」が使われている。賃金分を入金したプリペイドカードを渡すことで、銀行振込の手間や手数料が省け、銀行口座を持っていない人に対してもキャッシュレス化が進められる。

 また、国内でもすでに給与以外の分野、例えば経費などの精算にはデジタルマネーが利用されている。しかし、後述するが、国内の場合には賃金の支払いに関する法的な規制があり、経費の精算等にはデジタルマネーを使えても、給与支払いには使えないのだ。

 デジタルマネーといってもその形態は様々だ。「ペイロールカード」のようなプリペイドカードもあれば、「ドコモ口座」のようなスマホ決済、あるいはSuicaなどのような電子マネーもある。

 いずれの方法にしても、給与のデジタル払いには多くの課題がある。まず、労働者の賃金支払いに関する法的問題だ。

 労働基準法24条には、「賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない」と規定されている。その例外として唯一認められているのが、金融機関口座への振込であり、給与のデジタル払いを普及させるためにはこれを改正する必要がある。

 給与のデジタル払いが可能になっても、安全性という問題が出てくる。スマホ決済などデジタルマネーを扱う事業者は、「資金移動業者」として登録が義務付けられている。逆に言えば“登録のみ”で済んでしまう。資金移動業者は2021年1月末時点で80社が登録されている。

 金融機関については業務範囲や自己資本比率などを厳しく規制し、経営の健全性を保つ仕組みが作られている。さらに、経営破綻に際しては預金保険制度により、預金者保護の仕組みが導入されている。

 これに対して、資金移動業者の安全性が問題となる。現在、資金移動業者に対しては、預かった資金を全額、法務局に供託するなどの全額保全措置が取られている。しかし、ことは生活費となる給与だ。

 もし、資金移動業者が経営破綻した場合に、支払いができなくなったり、遅れたりするリスクを回避する仕組みは必要になる。このため、厚労省では保証会社や保険会社と契約することで、経営破綻の際に給与のデジタル払い利用者が確実に利用できる仕組みを検討している。

 また安全性という面では、利用者の本人確認の厳格化や資金の不正流出防止といったセキュリティ対策が重要になる。そして、「ドコモ口座」の不正利用に象徴されるように、この安全、安心が確保されているわけではない。

「日銀のデジタル通貨」は誕生するか

 そもそも、デジタルマネーとは言え、マネー(通貨)である以上、通貨の基本である「誰でも、いつでも、どこでも、安全に、安心して利用できること」が大前提となる。しかし、デジタルマネーを利用したサービスは、いずれも利用者を限定し、利用場所を限定する。

 そこで注目されるのが、「中央銀行のデジタル通貨」だ。世界の主要国では中央銀行のデジタル通貨の検討を進めており、日本銀行も同様だ。日銀がデジタル通貨を扱えば、それは法貨であり、「誰でも、いつでも、どこでも、安全に、安心して利用できる」という通貨としての大前提が担保されることになる。

   日銀のデジタル通貨を取り扱うための高いセキュリティと共通のプラットフォームが作られ、利用できるようになれば、乱立するデジタルマネー決済サービスの共通化が進み、「いつでも、どこでも、安全に、安心して利用できる」ようになるだろう。

   余談だが、デジタルマネーに関連した統計はほとんどなく、また、給与振込に関連した統計もない。このため、デジタルマネーが給与の支払いに使われるようになると、現状ではその実態を把握するのが非常に難しくなる。今後、日銀の金融政策に影響が出ることも懸念されるだろう。

 金融政策への影響とともに、今後問題となりそうなのが、給与のデジタル払いを取り扱う資金移動業者の「滞留資金」だ。

 かつて、「テレホンカード」が使用されずに多額の滞留資金がNTTに発生し、問題となったことがある。同様に給与のデジタル払いでも多額の滞留資金が発生する可能性がある。

   NTTは金融業者ではないが、資金移動業者は極めて金融業者に近い。

   出資法では、金融機関を除き、「業として預かり金をしてはならない」と定めている。資金移動業者の滞留資金が、“預かり金”に該当しないのかは大問題だ。それは、金融機関という概念を覆す可能性があるためだ。金融機関の定義そのものの見直しを迫られることになる。

 確かに、デジタルマネーは利便性が高い。しかし、それは限られた資金をデジタル化し、限られた場所で、限られた人が、限られた目的のために利用するという条件下での話だ。給与がデジタル払いになり、限りなく現金に近い性格を持ち、「誰でも、いつでも、どこでも、何にでも」利用できるようになれば、そのあり方を改めて問われることになる。

 給与のデジタル払い実現には、取り扱い業者、利用システム、利用方法などについて、将来起こり得る可能性も踏まえた十分な検討が必要だ。

鷲尾香一
金融ジャーナリスト。本名は鈴木透。元ロイター通信編集委員。外国為替、債券、短期金融、株式の各市場を担当後、財務省、経済産業省、国土交通省、金融庁、検察庁、日本銀行、東京証券取引所などを担当。マクロ経済政策から企業ニュース、政治問題から社会問題まで様々な分野で取材・執筆活動を行っている。

Foresight 2021年3月3日掲載

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