南極観測隊「タロ・ジロ物語」の背景に“もう1匹の生存犬” 若い2匹を守って力尽き
1956年11月、国内で初めて南極地域観測隊が結成され、第1次隊53人が東京港を出発した。最初の越冬の後、昭和基地に置き去りにされた2匹のカラフト犬が生き延びた実話は「タロとジロ」の奇跡の物語として人口に膾炙しているが、実はもう1匹の生存犬がいたという「事実」は、ほとんど知られていない。
(「週刊新潮」創刊65周年企画「65年目の証言者」より)
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メンバー53人のうち、57年2月からの「第1次越冬」には11人が参加。そのうち唯一存命なのが北村泰一・九州大学名誉教授(89)である。北村氏は当時25歳、京都大学理学部地球物理学科を卒業し、オーロラ研究のため越冬隊に加わった。その傍ら、最年少だったこともあり、現地の移動手段だった犬ゾリを引くカラフト犬の“世話係”を任されることになった。
越冬の前年、北村氏は北海道稚内市で行われた犬ゾリの訓練に参加。操縦方法や独特の序列を持つカラフト犬の性格を把握し、群れをコントロールする術を学んだのだが、そもそもなぜ第1次越冬隊は、15匹の犬を置き去りにしなければならなかったのか――。
北村氏に代わり『その犬の名を誰も知らない』(監修北村泰一、小学館集英社プロダクション)の著者である嘉悦洋氏が語る。
「本来ならば、昭和基地で第2次越冬隊に任務を引き継ぐべきなのですが、まず第1次隊に対して“宗谷(南極観測船)に引き揚げろ”という指示が出た。そこで北村さんは、第2次隊が到着するまで15匹の犬が逃げ出さないよう、首輪をきつく締めて基地を後にしたのです。ところが直後に天候が悪化し、第2次越冬が中止になってしまった。やむを得ない状況でしたが、北村さんは自責の念に苦しむことになります。首輪を緩くしていれば抜け出せる可能性もあったのに、犬たちの生きるチャンスを奪ってしまったと考えたのです」
その後、北村氏は第3次越冬に志願する。せめて犬たちの遺体を葬ってやろうと思ったからだが、59年1月に現地に到着すると、図らずも生き残った2匹との劇的な再会を果たすことになる。兄弟犬「タロ・ジロ」は自ら首輪を外し、過酷な環境下で約1年間生き延びていたのである。
「ベテラン犬」の存在
とはいえ、2匹が何を食べて命を繋いでいたのかは謎だった。ペンギンやアザラシを襲ったとの説は、具体的な証拠がなく排除されてしまう。そしてタロ・ジロの生還から9年後、昭和基地近くの溶けた雪の下から1匹のカラフト犬の亡骸が見つかった。ここから北村氏は、その犬がタロ・ジロと行動を共にし、2匹の生存に関与したのではないかと考え始めたのである。嘉悦氏が続けて、
「2018年2月、当時新聞社に勤めていた私は、タロ・ジロの秘話を聞くため福岡に住む北村さんを訪ねました。そこで“第3の犬”の話を聞かされて驚き、正体を解き明かす検証を一緒に始めることにしたのです」
話を聞くにつれ北村氏の記憶はみるみる蘇り、ある仮説に至った。それは、
〈カラフト犬には、群れでリーダーシップを取る犬がいる。方向感覚や危機察知能力に優れ、経験に裏打ちされた知恵と知識を持つ犬で、その「ベテラン犬」が、まだ若いタロ・ジロに寄り添い、基地から離れた場所にあった越冬隊の食糧基地へ導いたのではないか〉
というものだった。残された15匹のうち、タロ・ジロを除いた7匹の死亡が59年の時点で確認されており、行方不明は6匹。膨大な証言や資料を分析した北村氏は、有力な候補を絞り込んだ。
その犬の名は「リキ」という。置き去りにされた時は7歳で、すでに寿命に近かった。雪の下から発見されたのは、若い兄弟を守って力尽きた「リキ」だったと北村氏は結論したのである。それはまさに“執念”ともいえる検証だった。
「北村さんはこの4月で90歳を迎えます。現在は福岡市内の施設に入居しており、コロナのため面会も叶わず、電話もできない状態です。それでも以前、こう話していたことがあります。『名もなき犬たちが、人間の研究や政府の思惑で命を落とし、歴史の中に埋もれている。タロ・ジロ以外にも、南極で頑張った犬たちがいたことを知ってほしい。それを知ってもらえたら、私はいつ旅立ってもよい。天国で犬たちが待っているのだから』と……」
65年前に結ばれた若き研究者とカラフト犬との絆は、時空を超えて今も続いているのだ。