名将・野村克也が田中将大選手に伝授した「投手の極意」とは

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「人生は縁。弱い球団だから、やりがいがある。楽天に行って(俺が)強くしてやろうという意気込みを持って来て下さい。一緒にやりましょう」

 これは2006年のドラフト会議で、楽天に1位指名された田中将大へ、当時の野村克也監督が送ったメッセージである(引用は『野村克也の「人を動かす言葉」』新潮社刊)。

 2021年シーズン、8年ぶりに日本球界に復帰し、楽天のユニフォームに袖を通した田中は、楽天時代と同じ背番号「18」を背負う。だが、彼がニューヨーク・ヤンキース時代に背負っていた背番号は「19」。これは師匠である野村克也氏が現役そして楽天監督時代に背負っていた番号である。

 野村氏が田中を評した言葉で、最も有名なのが「マーくん、神の子、不思議な子」だろう。稀代の名将が旅立って1年――この発言の真意と舞台裏を、同書からの引用で振り返ってみたい。

“運が強い”とは「能動的に働きかけて勝ちとったもの」

〈私は2007年の開幕5戦目に、早くも、マーくんを先発させていた。当時の楽天は、岩隈くらいしかローテーションピッチャーがいなかったからね。ソフトバンク戦で初先発した田中は、試合が始まって50分くらいしたら、ベンチで私の隣にいたな。結果は1回3分の2を6被安打の6失点。2回終了まで持たなかったよ。降板してベンチに戻って来たマーくんの表情は、今でも覚えている。目に涙を浮かべんばかりに、とても悔しそうだった。瞬間、「これはいい投手になる」と思った。こういう時、「しょうがない」みたいな顔をしている投手は、成功しないからね。

「『運が強い』というのは、自分が備えている運の要素にプラスアルファを重ねて行かなければ身につかず、能動的に働きかけて勝ちとったものである」

 将棋棋士の芹沢博文さんが(私に)贈ってくれた言葉だ。「自分が備えている運の要素にプラスアルファ」……これを思ったのが、マーくんだった。不思議と負けがつかなかったんだよ。初先発だって味方が4回までに6点を取って負けが消えた。プロ2戦目は6回1失点(VS日本ハム・4月5日)、同じく3戦目は7回4失点(VS西武・4月12日)で、ともに勝ち負けつかず。

 不可思議な感じだったな。それを最も感じたのが同年8月3日のソフトバンク戦だ。この日、マーくんは、4回までに5点を失った。ところが打線が4回に4点、5回に3点を挙げ、結局、7-5で勝ち投手になったんだ(9勝目)。私は試合後、報道陣に、こう評していた。

「マーくん、神の子、不思議な子。何点取られるのか投げ続けさせたら、天から神が降りて来た。不思議の国のマーくん。先祖代々、何かあるんだろうな。そういう星の下に生まれている」

 自分でも上手いことを言ったと思っている。このあたりからだよな、楽天における、私のボヤキが話題になり始めたのは。〉

田中選手に伝授した「投手の極意」

 田中にとってプロ入り3年目となる2009年、この年で監督最終年となった野村氏は、「投手の極意」を田中に伝授している。それは、野村氏が常に力説する項目であり、田中は見事にその極意をマスターし、後に胴上げ投手にまでなるのである。

〈「150キロをど真ん中に投げるのと、130キロを外角低めに投げるのと、どっちが打たれないと思う?」

 答えはもちろん後者だ。外角の低めは、打者から一番遠い場所。ここにストライクを投げられれば、最も危険を少なく出来る。このコースに投げられるスキルを、私自身「(投手の)原点能力」と名付けているほどだ。それ以降のマーくんは、コントロール、もっと言えばこの「原点能力」に磨きをかけるようになった。私の(監督通算)1500勝目で投げてくれたのはマーくんだったし、しかも完投で、ウイニングボールを手渡してくれたな。

 2013年9月26日、マーくんは楽天の優勝決定試合の最後に登板したね。打者は5人。19球投げたけど、最後に2人を三振にとった8球は全部直球。外角低めの、まさに原点能力を上手く使っていた。最後の球も、外角の低めだった。そして、日本一も達成し、翌年はメジャーへ。ご存じの通り、名門ニューヨーク・ヤンキースのエース待遇だよ。私は、テレビ局の解説につきながら、思わず、こう呟いていた。

「もう、マーくんじゃないな。マーさまやで……」〉

 冒頭の野村氏のメッセージを受けて楽天入団を決意した田中は「何年も経っていない球団なので、歴史に名を刻めるような選手になりたいです」とコメントしている。その通りの選手になって帰ってきた田中がどんなピッチングを見せてくれるのか、今年もパ・リーグは面白くなりそうだ。

デイリー新潮編集部

2021年2月21日掲載

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