「デイサービス」はありがたかったのだけど──在宅で妻を介護するということ(第19回)
「彼女を自宅で看取ることになるかもしれない」 そんな覚悟もしつつ、68歳で62歳の妻の在宅介護をすることになったライターの平尾俊郎氏。妻とじっくり向き合う介護の日々を、苦労しつつもそれなりに楽しんでいたが、デイサービスを利用してみて、一人の時間の貴重さを思い出す。しかしその休息もつかの間だったようで――体験的「在宅介護レポート」の第19回。
【当時のわが家の状況】
夫婦2人、賃貸マンションに暮らす。夫68歳、妻62歳(要介護5)。千葉県千葉市在住。子どもなし。夫は売れないフリーライターで、終日家にいることが多い。利用中の介護サービス/訪問診療(月1回)、訪問看護(週1回)、訪問リハビリ(週2回)、訪問入浴(週1回)、訪問歯科診療(月1回)。
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暖かくなったらデビューしようと決めていたデイサービス。医師にも「そろそろ外に連れ出して、社会の刺激を受けたほうがいい」と勧められていた。異なる空間に身を置きいろんな人と話をすることで、脳細胞のさらなる活性化が期待できるということだった。
私も同感だった。二人だけの暮らしは安定はあっても刺激がない。女房は私と違って社交性があるし、介護スタッフの誰とも好き嫌いなく話ができる。これならデイへ行っても心配ない。片隅で一人、ポツンとテレビを見て過ごすようなことはないと思った。
デイサービスは「在宅」における一つの目標である。なぜなら、ある程度離床ができることが条件だからだ。また、車いすに乗れるだけでなく座位を長時間保てる状態にならないと、現実的に利用は難しい。女房は1年半かけてようやくここまで来た。
春先にはデビューするはずだった。ところが、車いすからベッドに戻るときに何度か嘔吐するようになって延期。吐かなくなったら今度は原因不明の痒み発作に見舞われ、あと一歩のところでお預けを食った。どうも相性がよくないようだ。
二度あることは三度ある。とどめは新型コロナの感染拡大であった。
3~4月にかけて、デイサービスでクラスターが続発した。それを受けて各地のデイサービスは軒並み営業を休止し、開いていたとしても新規の利用は受けないムードが生まれていた。何も急ぐことはない。ウイルスに感染したら元も子もないので、しばらく様子を見ることにした。
介護・高齢者施設では長らく面会禁止措置が取られ、当人や家族がずいぶんつらい思いをしたという。認知症の人は家族の顔を忘れてしまうのではないかと心配された。「在宅」ならそんな心配は無用だ。
コロナの影響は「在宅」にも及んだが、施設に比べれば実に軽微なものだった。
訪看も、リハビリも、入浴も、医師や歯科も、訪問系のサービスは従来通り継続されたので安心した。
困ったのは、プラスチック製の薄手の使い捨て手袋と、うがい薬のイソジンが入手困難になったことくらいか。特に前者はおむつ交換の必需品なので、ないととんでもなく困る。ネットはもちろんドラッグストアでも長期間欠品となり、一時は千葉大病院の売店まで買い出しに出かけた。
細かい話だが、ようやく売り場に「1人1点限り」で戻って来たときには、値段がほぼ倍(一箱500円→千円)に。本当にないときは、使う方の左手だけはめて在庫をキープした。
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