ドイツ自動車業界のEVシフトを阻む「死角」
日本の陸運局にあたるドイツ連邦自動車局(KBA)が今年1月に発表した統計は、欧州全体で大きな注目を集めた。これまで鳴かず飛ばずだった電動車(バッテリーだけを使う電気自動車=EVとプラグインハイブリッド車=PHV)の販売台数が、2020年に爆発的に増えたからだ。
2019年にはEVの新車販売台数は6万3281台だったが、去年は3.1倍に増えて19万4163台となった。PHVの販売台数も、1年間で4.4倍増加して20万469台に達した。
EVとPHVを合わせると、前年比で263%の増加率を示した。ドイツで電動車の販売が開始されて以来、これほど急激に売れ行きが伸びたことは、一度もない。
新車の販売台数の内訳にも、地殻変動が生じた。2019年の販売台数に電動車(EVとPHV)が占める比率は3.1%にすぎなかったが、2020年には13.6%に急拡大した。逆にガソリン・エンジンまたはディーゼル・エンジンを使う車の比率は、1年間で約16ポイントも減り、74.8%になった。
政府が補助金を2倍に
電動車の売れ行きが飛躍的に増えた理由は2つある。1つはメルケル政権が去年、EVもしくはPHVを買う消費者向けの補助金を増やしたことだ。
政府は去年6月に、コロナ・パンデミックによる経済への打撃を緩和し、国内消費を増やすための「景気パッケージ」という一連の対策を発表した。連邦経済エネルギー省は、その中にEV・PHVへの政府補助金を2倍に増やすという対策を含めた。消費者は国だけではなくメーカーからも補助金を受け取れる。
この結果、市民は価格が4万ユーロ(504万円・1ユーロ=126円換算)までのEVを買うと、国とメーカーから9000ユーロ(113万4000円)の補助金を支給されることになった。
また政府は、消費需要の冷え込みを防ぐために、去年12月末まで付加価値税を19%から16%に引き下げた。高価な商品を買うほど、「お得感」が強まる。
この2つの施策の相乗効果で、多くのユーザーがEVやPHVに飛びついた。去年7月には補助金の申請は1万9993件だったが、2カ月後には申請件数が37%も増えて2万7436件になった。当初メルケル政権は、補助金の増額措置を去年7月8日から今年末までに限っていたが、予想以上に市民の反響が大きかったために、2025年末まで延長した。
この景気パッケージの特徴は、地球温暖化と気候変動に歯止めをかけるための措置を多く含んでいることだ。たとえばメルケル政権は、再生可能エネルギーの拡大を促進し、水素エネルギーの実用化に投資することによって、新しい雇用を生み出し経済成長率を引き上げようとしている。EV・PHVの補助金増額も、電動車の普及に拍車をかけることによって、二酸化炭素(CO2)など温室効果ガスの削減を狙うものだ。内燃機関を使う車とハイブリッド車(HV)には、補助金は適用されない。
反発から一転、「EVを主軸」
EVシフトのもう1つの理由は、欧州連合(EU)の気候保護対策の強化である。EUは2050年までに域内からの温室効果ガス排出量を実質ゼロにすることを目指している。EUのウルズラ・フォンデアライエン委員長は去年9月に、「2030年までに温室効果ガス排出量を1990年比で少なくとも55%減らす」という、これまでの目標値(40%)を大幅に上回る削減幅を提案した。欧州議会は「55%では不十分だ」として、この目標値を60%に引き上げた。
ドイツの自動車業界は、「コロナ不況で苦しんでいるメーカーの負担をさらに増やす政策だ」として当初この提案に強く反発した。EUの自動車業界は、2018年に「2021年から2030年までに新車からのCO2排出量を37.5%減らす[西村1]」と約束していた。しかしEUの目標値引き上げのために、欧州の自動車メーカーは、CO2排出量を50%も減らさなくてはならなくなった。
しかしドイツ自動車工業会(VDA)のヒルデガルト・ミュラー会長は10月28日に「2050年までにモビリティからのCO2実質ゼロを達成する」と宣言した。
これは自動車業界が「モビリティの非炭素化の流れに抗うことは、もはやできない」と判断したことを意味する。EUからは、「自動車業界のCO2削減は電力業界に比べると遅れている」という批判が出ていた。
ミュラー会長によると、同国の自動車メーカーは今後数年間に500億ユーロ(6兆3000億円)を投資して、EVとPHVのモデル数を現在の約70種類から約150種類に引き上げる方針だ。VDAは、「EUの新目標を達成するには、2030年には新車の販売数に占めるEVの比率を60%に引き上げる必要がある」と見ている。つまり業界は、経営戦略の主軸をEVに置かざるを得ないと判断しているのだ。
ドイツはEUで地球温暖化対策に最も積極的な国の1つだ。メルケル政権はパリ協定の目標を実現するために、今年から自動車と暖房からのCO2排出コストを増やす「カーボン・プライシング」を開始した。政府は、ガソリンや軽油、灯油などを売る会社に対し、価格が固定されたCO2排出枠証書の購入を義務づけた。
次表が示すように、その価格は毎年引き上げられる。
企業はこのカーボン価格を燃料の価格に上乗せするので、CO2排出を伴うエネルギー源のコストは、年々高くなっていく。つまり今後は燃料代が徐々に高くなるので、CO2を出さない車への需要が高まる。ドイツ政府はEVについては車両税も免除しているので、節約志向が強い消費者の足は、カーボン・フリーの車へ向く可能性が強い。
秋の総選挙で緑の党が政権参加?
政局の変化も自動車業界に大きく影を落とす。今年9月のドイツ連邦議会選挙では、環境政党・緑の党がキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)と連立政権を樹立するという公算が強まっている。今年1月のインフラテスト・ディマップ社の世論調査によると、緑の党の支持率は21%で、CDU・CSU(35%)に次いで第2位。両党が連立すれば、議会の議席数の過半数を獲得できる。緑の党が政権入りした場合、気候保護政策を強化することは確実と見られている。たとえば同党は、マニフェストの中で「2030年までに温室効果ガスを排出する新車の販売を禁止するべきだ」と要求している。さらに「温室効果ガスを出さない車に青いステッカーを交付し、このステッカーを着けていない車に対しては、都市の中心部への乗り入れを禁止するべきだ」と主張している。
こうした世の中の動きを見ている消費者は、「今内燃機関の車を買うと、将来中古車として売る時の価格が低くなる危険がある。EVやPHVを買っておいた方が無難かもしれない」と判断しているのだ。
「充電インフラ不足」が障壁
だがEVシフトには大きなネックがある。それは充電インフラの不足だ。VDAによると、去年10月31日の時点でドイツで使われていたEVとPHVは約56万台。政府は2030年までに、この台数を700~1000万台に増やすという目標を持っている。9年間に普及数を約13~18倍に増やすというのは、野心的な計画だ。
しかし今年1月6日現在のドイツの公共充電スタンド数は、まだ1万7369カ所にすぎない。(1つのスタンドには複数の充電端末つまりコンセントがあるので、端末数は3万4056個)その内急速充電スタンドの数は、2344カ所つまり13.5%に留まっている。
私が住むミュンヘンの人口は約150万人。だが地元の公営電力販売会社(シュタットヴェルケ・ミュンヘン)が歩道に設置した公共充電スタンド数は570、端末数は1140個にすぎない。
これまで充電インフラの拡充が進まなかった理由は、電力会社が「ドイツではEVやPHVの数が増えないので、公共充電スタンドを作っても収益を稼げない」と判断したためだ。一方消費者は、「充電スタンドの数がなかなか増えないから、当分EVやPHVを買うのはやめよう」として及び腰だった。いわば電力会社・ユーザー共に様子見し続けるという悪循環である。
このためドイツ政府は、今年からようやく充電インフラの拡充に本腰を入れる。メルケル政権は、2月10日にペーター・アルトマイヤー経済エネルギー大臣が提出した「急速充電法案」を閣議決定した。
法案によると、同国は2023年までに、全国をくまなく網羅する形で、1000カ所に出力150キロワット(kW)の急速充電スタンドを設置する。この計画には20億ユーロ(2520億円)の予算を充てる。
メルケル政権は「これまでの充電インフラ建設助成プログラムは十分ではなかった」と指摘。特に大半の充電スタンドの出力が22kWと小さく、100kWを超える充電スタンドの拡充に力が置かれていなかった。出力が22kWのスタンドは、ドライバーの間で「充電に長い時間がかかる」と不評だった。
政府は欧州企業を対象として、高速道路沿い、および主要都市における急速充電インフラの建設と運営について今年夏から入札を実施する。政府は10~15回入札を行うことで数社の企業を選び、これらの企業との間で長期運営契約を締結する。この閣議決定は、政府がEV普及を阻んでいたネックの排除へ向けて重い腰を上げたことを示している。
再生可能エネルギーはまだ発電量の半分以下
充電スタンドで使われる電力も気になる。ドイツの去年の発電量の内、再生可能エネルギーの比率は約44%だった。約39%は、石炭など化石燃料から発電されている。ドイツで石炭・褐炭火力発電所が廃止されるのは、2038年の末だ。せっかくEVを買っても、充電スタンドからの電力が褐炭や石炭から作られているのでは、CO2排出量を減らすことにはならない。再生可能エネルギーの比率を引き上げないと、モビリティの非炭素化は実現できない。このためVDAは、「モビリティの非炭素化を進めるためにも、再生可能エネルギー由来の電力の比率を迅速に高めてほしい」と要求している。
さらに、今年のように寒さが厳しい年には、EVにはやや不安が伴う。気温が低い時には、暖かい時に比べてバッテリーの性能が下がるからだ。ノルウェーの自動車クラブNAFは、去年1月に[西村3]20車種のEVを使って、低温時の走行実験を行った。その結果ある車種では、寒冷時の航続距離が、通常の航続距離よりも約30%短くなった。
「プレミアム・クラス」と呼ばれる内燃機関の車は、収益性が高い。ドイツのメーカーはこの種の製品に強い未練を持っていた。彼らはEV開発には本腰を入れず、当分の間はガソリン・エンジンかディーゼル・エンジンを持つ車で収益を稼ごうとした。このためドイツ企業は、消費者の心を引きつける本格的なEV開発について、米国のテスラに遅れを取った。
「モデル3」などのテスラの車が、環境問題に関心が強いドイツの富裕層の間で、ステータス・シンボルとして静かなブームとなりつつある今、ドイツ勢は時代の流れを読み間違えた。テスラは現在旧東ドイツのブランデンブルク州に大規模な工場と電池工場を建設しており、今年後半から毎年50万台のEVを生産する予定だ。フォルクスワーゲンは、去年9月にようやく本格的なEV「ID.3」を発売。BMWやダイムラーの本格的なEVの投入は、まだこれからである。今後ドイツ勢は、テスラに追いつき、追い越さなくてはならない。
「強い組合」も足枷に
ドイツの産業構造も、迅速なEVシフトを阻む。この国の自動車業界で雇用されている市民の数は、約82万人。その内約37%が自動車部品メーカーで働いている。彼らの大半は、内燃機関の車に関する技能しか持っていない。急激な電化は、彼らの雇用を脅かす。
つまり自動車業界は、この約30万人の雇用を極力守りながら、モビリティの電化を実行しなくてはならない。自動車業界の労働者が加盟している全金属産業労組(IGメタル)は、この国で最大・最強の産業別労組である。この国の労働組合は、経営側との対決がエスカレートした場合、ストライキも辞さない。多数の労働者を路頭に迷わせるような、モビリティの急激なグリーン化は、労組の頑強な抵抗に突き当たるだろう。これも、自動車メーカーがスピーディーなモビリティ転換に踏み切れない理由の1つである。
だがEUと政府からの、自動車業界への圧力は日一日と高まっている。ドイツのメーカーにとっては、2030年までの9年間が勝敗を決する「天王山」となるだろう。かつて日米とともに内燃機関の車で世界市場を制覇したドイツのメーカーが、21世紀にも覇者として生き残ることができるかどうかは、まだ未知数である。