ジャニーズも顔負け…キャンプ地を熱狂させた“超人気ルーキー列伝”
阪神・佐藤輝明、楽天・早川隆久ら期待のルーキーたちが注目を集めている春季キャンプだが、コロナの影響で、無観客や見学人数制限などの対策がとられ、例年に比べて静かな日々が続いている。だが、過去のキャンプ地や遠征先などでは、大勢のファンを熱狂させ、大フィーバーを巻き起こした超人気ルーキーが数多く存在した。
1958年、巨人に入団した六大学のスター・長嶋茂雄は、明石キャンプの宿舎が明石駅から歩いて10分ほどの距離だったにもかかわらず、大勢のファンに行く手を阻まれ、小一時間もかかったといわれる。センバツ優勝投手として人気者になった王貞治も、巨人ルーキー時代の59年6月4日、函館遠征の広島戦の試合後、ベンチにヘルメットを忘れてきたことに気づき、取りに戻ったところ、地元ファンに囲まれて動けなくなり、危うく移動のバスに乗り遅れそうになった。
過熱する“殿下フィーバー”
そして、野球選手という枠組を超え、“国民的アイドル”として社会現象にまでなったのは、70年に近鉄入りした太田幸司が元祖である。
青森・三沢高のエースとして前年夏の甲子園で準優勝投手になった太田は、端正で甘いマスクから“殿下”の異名で女学生たちのハートを虜にし、「東北地方(一説では青森県) 太田幸司様」の宛名だけでファンレターが届いたという話も伝わっている。甲子園から2ヵ月後に行われた長崎国体では、球場に入りきれなかった数百人のファンが列をなし、疲労から倒れて病院に搬送される者まで出た。
70年1月19日、近鉄の合宿所入りした太田は、翌日から藤井寺球場での合同自主トレに参加したが、“殿下フィーバー”は過熱する一方。練習終了後には、球場に隣接する宿舎をファンが取り囲み、外出で電車に乗るときも、手で顔を隠しながら、窓のほうを向いたまま周囲の目をやり過ごすという窮屈な毎日。「(キャンプ地の)延岡へ行ったら、気軽にみんなと同じように動けるだろう」という思惑も、初日の2月10日から立見席は黒山の人、人、人……。気の休まる暇もない毎日に、「一人っきりになったときでも、時々ハッと誰かに見られているのではと思う」と複雑な心情を吐露している。
特筆すべきは、太田目当ての女性ファン急増を受けて、本拠地・日生球場で、一塁側スタンド上段や三塁側場外に女性用トイレが増設されたこと。人気者の入団は、球場の施設充実化にもひと役買った。
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