「Clubhouse」でなぜ“論争”が起こりにくいのか 「文字の文化」より古い「声の文化」(古市憲寿)

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 1月末現在、友人たちはクラブハウスという新しいSNSに夢中である。2020年にサンフランシスコの新興企業が始めたサービスで、音声だけで交流という点が目新しい。文字も画像も投稿できないし、アーカイブも残らないし、録音も禁止されている。

 何が楽しいんだと思われそうだが、不思議な中毒性がある。「こうしている間にもクラブハウス上で何か面白いことが起こっているんじゃないか」と思って、ついアプリを立ち上げてしまうのだ。雰囲気は立食パーティーや夜更けの居酒屋に似ている。まるでコロナが流行していない世界に迷い込んだようだ。

 楽しみ方は大きくわけて2種類。一つは有名人も多く参加しているので、彼らの話に耳を傾けること。本当に雑談の場合もあるし、メンタリストのDaiGoくんのように有益な情報を提供してくれる場もある。この原稿は、清塚信也さんの生ピアノを聞きながら書いている。

 もう一つは「漫画」や「不倫」など何かテーマを決めて議論をすること。雰囲気としてはインターネット黎明期の掲示板やツイッターに似ている。サービス開始直後ということもあり、新しもの好きたちは、異様な熱気と共にクラブハウスに参加している。

 結局、Zoom飲み会はあまり流行しなかったように思うが、あれは自分の顔が表示されるのがよくなかった。人間は自身の顔を見ると客観性を取り戻し、冷静になってしまうらしい(とクラブハウスでDaiGoくんが言っていた)。

 上手なのは招待制という点。しかも初めは、1人につき2人までしか招待できない。各自が「とっておきの友人」を招くので、参加者の質が保たれやすいのだ。

 それにしても2021年になって、声のメディアが流行したのは興味深い。言うまでもなく、「声の文化」は「文字の文化」よりも古い。かつては文字の使用が批判されていた時代もあった。古代ギリシャの哲学者たちは、書くことは非人間的であり、記憶を破壊すると述べていた(W-J・オング『声の文化と文字の文化』)。

 確かに現代でもしばしばテキストは無機的だ。人間の行為や感情をジャッジする裁判文書が代表的だが、現代で何かに白黒つける場合、大抵は文字で決着がなされる。

 ツイッターでは悪口の言い合いが溢れているが、もしも対面だったら仲良くできる人々も多いだろう。

 クラブハウスでは音声のみのメディアということもあり、論争は起こりにくいと言われている(もっとも「朝まで生テレビ!」に出演した時は、CM中も出演者のおじいちゃんが激論を交わしていた)。

 太古の昔から、人間にとって一番の娯楽はコミュニケーションであった。声のメディアは、外出自粛が求められる世相とも合っている。ただし究極の即時メディアであるクラブハウスと違って、この原稿は執筆から掲載まで1週間以上のタイムラグがある。その時まで、クラブハウスが流行しているかはわからない。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2021年2月18日号掲載

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