八代亜紀が語ったコロナ禍での「ディナーショー」「ライブ配信」と「おうち時間」

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 八代亜紀(70)のデビューは1971年9月である。大ヒットした「舟唄」や「雨の慕情」などの演歌はもちろん、バラード調の「花 (ブーケ) 束」、はたまたジャズ歌手として世界デビューも果たし、今も活躍の場を広げている。デビュー50周年の昨年は、全国津々浦々を巡るコンサートツアーが予定されていた。そこへ降ってわいたのが新型コロナの感染拡大だった。八代本人がこの1年を振り返る。

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八代:デビュー以来、毎年、何百ステージもこなしてきましたから、こんなにコンサートをしない1年なんて初めて。

――しかも、昨年はデビュー50周年という節目の年だった。

八代:50周年では、これまでの感謝を込めて「ありがとう行脚」をしようと思っていたの。これまで行けなかった地方のいろんな所へ。山奥の小さな村とかにも足を運んで、コンサートをしたいなと思っていたんです。北海道から南下する予定でした。

――それでも1月、2月までは順調だった。

八代:その頃はまだ国内で新型コロナウイルスが広まっていなかったので、北海道では津々浦々でコンサートができました。でも、2月末だったかしら、北海道では最後の稚内での公演は中止になってしまいました。その後は、ほとんどが延期か中止に……。

――昨年10月、ようやく開催したコンサートは無観客となった。

コロナ禍のライブ対策

八代:お客さんが入るコンサートは11月から再開しました。ホテルのディナーショーですから、通常のコンサートよりも客席数は少ないのですが、席の間隔を空けるため、座席を少なくして。お客さんもホテルのスタッフの皆さんも私たちも、ソーシャルディスタンスを取って、間にはアクリル板を入れて、本当に厳重、厳戒に対策して本番に挑みました。そんなディナーショーも初めての経験でした。

――ディナーショーは、11月に浜名湖(静岡)、12月に横浜と佐倉(千葉)で開催されたが、ファンにとっても初めての経験だったろう。会場入り口での検温、手指消毒はもちろん、食事中の会話は控え、食事が済んだらマスク着用をお願いされる。本番中に声を発することも控えるようアナウンスがされたという。

八代:普段なら私のディナーショーって、「雨の慕情」や「舟唄」といったヒット曲の間に、ジャズやロックアレンジの曲を入れたセットリストで、お客さんが盛り上がって、泣いたり笑ったりするんですよ。手拍子もすごいし、「亜紀ちゃーん!」て声も飛ぶ。だけど今回は、ショーのはじめに「絶対にマスクを外さないでね」と私からもお願いして、「『亜紀ちゃーん!』って声かけもなし。でも、拍手ならOK!」、「今日のコンサートの感想は、帰るときに言い合っちゃダメよ。家に帰ってから話してね」なんて言ってました。

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