黒柳徹子が明かす45周年「徹子の部屋」秘話 唯一「カットしたシーン」とは

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 創刊65周年を迎えた本誌(「週刊新潮」)だが、こちらはスタートして45年。しかも、「日刊」で、お一人での達成だから脱帽である。半世紀近く「病欠ゼロ」で、国民的番組、「徹子の部屋」に多彩なゲストを招き続ける御年87歳、黒柳徹子さん。快挙たる“長寿”の秘訣を語り明かす。

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〈まずは本誌について、〉

 65年、すごいですよね。毎回目玉みたいなものがないといけないんでしょ? それを65年間、毎週っていうのはすごい。

〈とエールを送ってくださった黒柳さん。〉

 毎週毎週誰かが問題起こしてくれたらいいなあ、なんて思っているのかしら(笑)。私たち芸能人にとっては、とっても怖い週刊誌なんですけど、それを措(お)いておけば、人間のことを深く調べて書いている週刊誌だなあ、と思います。私は人間を深く書いてるものを読むのがとても好き。私がいつも気になっているのも、やっぱり人間のことですから。

〈「徹子の部屋」が始まったのは、1976年2月2日。第1回のゲストは故・森繁久彌氏だった。その4日後に発覚したのがロッキード事件と言えば、歴史を実感いただけるだろうか。放送回数は1万1千回を超え、同一司会者による番組最多放送のギネス記録に認定されている。空前、そしておそらく絶後の番組だろうが、“長寿”の秘訣を伺ってみた。〉

「週刊新潮」と同じで、人に対する好奇心を保ち続けてきたことではないかしら。やっぱりインタビューする時に一番必要なのは、その人に対する興味だと思うんですけど、それが絶えちゃうと、話を上手に引き出すことはできないでしょ。この人はどんな方なんでしょう。どんなおしゃべりをしてくれるんでしょう。そういう私の好奇心が絶えなかったことが第一だと思います。

 好奇心旺盛なのは、私だけじゃなくて、スタッフ一同もなんですよ。「徹子の部屋」では、スタッフが事前にゲストに取材をして、それを私に伝えます。毎週1度、その打ち合わせがありますが、今はコロナだからリモートだけど、普段は同じ部屋でやっているんです。一人のスタッフと打ち合わせをしていても、その人の話をみんなで「へえ~」って聞いて、「そうなんだ!」って盛り上がって。スタッフが人を好きでいてくれることも、長く続いている秘訣ですね。

 番組が始まる時、私は二つのことをお願いしたんです。ひとつが、スタッフを入れ替えないでください、ということです。テレビ局ってスタッフの異動が激しいんですが、「徹子の部屋」は私がどういう人間かということを飲み込んでもらわないと上手くいかないと思ったんです。私とスタッフの話し合いで方向性が決まっていくのに、打ち合わせの段階でしょっちゅう人が替わっていくと、また説明しなくてはいけない。ゲストへの取材も、同じスタッフなら私が何を聞きたいのか、阿吽(あうん)の呼吸で理解してくれますからね。今でも、45年前からのスタッフが1人いて、2年目からの方とか、5年目からの方も……。普通の局ではありえないくらい長く関わってくれています。それがとても良かったんですね。

 それともうひとつ局にお願いしたのは、収録だけど、放送に当たって、カットや編集はしないでくださいということです。テレビの初期ってみんな生放送だったんでしょう? 私はその頃から仕事を始めていますから、生の緊張感の大切さがわかるんです。録画だと、「どうせうまく撮れなかったらまた撮ればいい」という甘えが出てきてしまうんですね。でも、生だと「失敗したら終わり」なので、一か八かの真剣勝負。その緊張感が番組には大切です。それに、後で編集が許されるのなら、局の意向で番組をどっちの方向にも持って行けてしまいますし、ゲストはここを使ってほしい、プロデューサーはここを残したい、私はこれも入れてほしい……と収拾がつかなくなってしまいますからね。

唯一のカットは…

 とはいっても、45年にもなりますから、カットしたことがなかったわけではありません。唯一のカットは、杉村春子先生の回。杉村先生とは、私が文学座で勉強していたこともあってとても親しくさせていただいていたんです。35~36年前のことかしら、ゲストで出ていただいた時、先生が80歳ということで、「先生って丙午(ひのえうま)ですね」とお聞きしたんです。そうしたら、先生は「あなた、私は芸者の子どもですよ。第一、私生児。親が私が生まれてすぐに役所に届けを出したかなんてわかったもんじゃありませんよ」っておっしゃったんです。本当はもう少し年上なんじゃないか、ということですね。

 ただ、その時、先生は「女の一生」の公演で全国を回る直前。スタジオにいたマネージャーさんが後で来て、「すみませんが、『女の一生』の冒頭ではおさげ髪の少女も演じなければならないんです。さすがにそんな年の人がやってると思われるのもナンなので……」とお願いされて、その部分だけはカットしましたね。でも歴史上、この1回だけです。

 郷ひろみさんが出た時にはこんなことがありました。これも35~36年前かしら、収録で私は「どういう女性がタイプなんですか?」「結婚するならどういう女性がいいの?」と伺っていたんです。でも、実はその時、既に郷さんは結婚が決まっていて、それから放送までの1週間ほどの間に記者さんに捕まって、結婚の話が公になってしまった。で、放送の前に、「これを撮ったのは〇日ですけど、その後に結婚なさると決まりました。相手の方を想像して見てくださると、なるほどとお思いになることもあるでしょう」と頭のところを撮り直したんです。私はそれ以来、若い方がゲストの時には、「あなた放送まで絶対、結婚、離婚はないわよね」って聞くようにしているんですよ(笑)。

 このように、「徹子の部屋」は限りなく生に近い形で放送しているので、準備がすごく大事なんです。だから打ち合わせをとても大切にしています。

 収録のスタイルは45年間、変わっていません。まず、スタッフが翌週のゲストに取材に行き、足りない情報は新聞や雑誌で補って、金曜日に私に報告をしてくれます。報告はゲスト1人当たり1時間ほど、スタッフルームで。ディレクターが代わる代わる6人分のゲストの打ち合わせに来るのです。ですから、5~6時間はかかりますね。打ち合わせの他にも、スタッフに1週間会わない間に起きたいろんなことを報告したり、「すごく美味しいものを食べた」とか、個人的な話をしたりするので、ついつい時間がかかっちゃうんです。収録は月曜日3人、火曜日3人の計6人。月~金放送だからゲストは1週間で5人なのですが、余分な1回分の収録は、私が夏休みを取ったり、ユニセフの仕事で海外に行く時のためのストックに充てています。収録の時、テーブルの上にメモが置いてありますが、あれは打ち合わせの際、スタッフが教えてくれた話を私がメモしたもので、1回につき、メモノート13枚くらいにはなります。本番の時はほとんど見ません。

 視聴率を気にしないことも大事。私ってテレビをやっている人の中で、一番数字を気にしない人間だと思っています。だって面白くてやりたくてやっているのだから、視聴率が悪くてもいいじゃないですか。それに、自分が好きでやっているのだから、みんなも見て楽しいはずと思ってやっていると結局、数字って良くなりますよね。

 私がデビューした時は、全国のテレビの台数はまだ866台でした。ひとつのテレビを家族5人で見ていても、4千~5千人くらいにしかならない。今みたいに何千万人なんて見ていませんでした。だからかしら、昔のテレビマンは視聴率なんて気にしていなかった。楽しく番組を作ろうとするだけで。今は番組を始める前に「視聴率取れますかね」と考える。これが今と昔の一番の違いみたい。

 放送した「徹子の部屋」は録画して夜とか週末に見ているんです。5本もありますから、2本まとめてとかして。話の流れはどうだったのか。失礼なしゃべり方をしていないかをチェックします。でも反省はしないです(笑)。一般の方々がご覧になっているのと同じ目線で見ています。割と面白いなって。昔から、反省は母の胎内に忘れてきたなんて言われていますから。

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