「マツコデラックス」「満島ひかり」「田中みな実」「平井堅」が羽ばたいた「MXテレビ」秘話

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マツコデラックス登場

 時を戻そう…。

 しかし、この「5時に夢中!」立ち上げ当初はお金も人員もまったく足りていませんでした(もちろんそれは民放キー局と比べて今もなおですが)。

「自分たちは桶狭間の戦いの信長軍だ」と大川貴史プロデューサーがよく洩らしておりましたが、まさに他の民放局の強大な資金力や人員数つまり数の論理では到底太刀打ちできるような状態ではなかったので、スタッフの皆さんは寝る間も惜しんで会議を繰り返しておりました。

 たまたま先に生まれただけの年長者であり、テレビっ子として育った私にも相談を持ちかけてくださったので、私が気付く範囲でお話をさせて頂いたりもしました(一例として、今や定番の5時に夢中!のオープニング曲、ジャクソン5「I Want You Back」は私の発案。が、その時ディレクターに貸したCDは紛失されました)。

 さておき、「5時に夢中!」内で当時テレビ朝日「ワイド!スクランブル」の1コーナー「夕刊キャッチUP」のようなことをしようとなった時も、各新聞社の協力を得ることができませんでした。

 打ち合わせ直前にアシスタントディレクターの若い子が有楽町駅近くにあった早売りの売店に夕刊紙を買いに走り戻ってきたタイミングで、話題をピックアップし構成を作り上げて生放送突入なんて感じでありました。

 それが今はどうですか? 各新聞社、「是非『5時に夢中!』内で取り上げてくれ」と挙手の渋滞をしているそうです。

 そしてこんなことも…。

 ある曜日のゲストが突然出演できない、いわゆるドタキャンを申し出てきたので、その穴を埋めるべく出演者探しの依頼をスタッフに相談されたことがありました。

 私はそこまで考えることもなくある人物が頭に浮かびました。

 それがマツコデラックスさんであります。

新幹線内のマツコに

 先にも触れたように、従兄弟であるミッツを通して何度もお目にかかったことがあり、彼の思考や言葉選びのセンスに触れていたので「この人がテレビで喋ったら面白いはず」となり、すぐに連絡をしたわけです。

 ただその日のマツコさんはショーの巡業で新潟に向かう新幹線に乗車しておりまして、電波状況が良好ではなく下車後連絡をもらうという段になったわけです。

 細かい概要を伝えていなかったにも関わらず、下車後、律儀に折り返してくださいましたマツコさんだったのですが、私は挨拶もそこそこに大川貴史プロデューサーに電話を代わりました。

 以前、自身のショーを観賞し酒を酌み交わしたこともある我々の困惑の意を汲んでくださったマツコさんはほぼ二つ返事で出演を了承し、いざ出演となったわけであります。

 当時のマツコさんはそこまでメディアに露出していたわけでもなく、たとえ出演したとしても言い方は失礼になりますが、「イロモノ」的な扱いだったので多少敬遠しているところがあったのは事実です。

「5時に夢中!」スタッフそして出演者がただの「イロモノ」ではなく、マツコさんの言論に沿った進行をしたことにより(手前味噌な妄想も含んでいます)、気持ちよくスタジオを後にし、レギュラーになりその後15年以上に渡り出演なさっております。

 そしてMXといえば、「5時に夢中!」木曜レギュラーである岩井志麻子さんと中瀬ゆかりさんでございます。

 このお二方ともかれこれ15年のお付き合いをさせていただきまして、今でもグループLINEを毎日しております。

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