「流行る=バカにされる」構造 叩かれるメジャー、賞賛されるマイナー(古市憲寿)

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 音楽評論家の吉見佑子さんがツイッターで興味深いことを呟いていた。

 かつては、家にテレビがないこと、ミニマルライフやオーガニックを好むことが「知的」だと見なされていたのに、最近では「バカの象徴」にもなったというのだ。結論は「流行るってどこまでも庶民の出来事」。確かに定義上、庶民まで広がらないと流行とは言えない。

 世の中にはメジャーとマイナーという二つの島が存在する。たとえば映画や音楽の世界で言えば、人気者が住むメジャー島と、決して大ヒットにならないマイナー島がある。興味深いのは、全てのクリエーターがメジャー島を目指すわけではないという点。なぜならメジャー島の住民は、とにかくバカにされるから。「売れるまではよかったのに」とか「悪魔に魂を売った」とか、散々な言われようだ。

 一方、評論家と呼ばれる人々は概してマイナー島の作品を褒める。埋もれがちな作品に光を当てるという点では意味ある行為だ。ビッグヒットには恵まれない代わりに、尊敬や称賛と共に生きていくことができる(中には普段はマイナー島に住んでいるのに、メジャー島に出稼ぎに来る器用な人もいる。坂本龍一とか)。

 勿体ないのは、せっかくメジャー島に行けたのに、バカにされるのが嫌で、マイナー島に戻ってしまうクリエーターがいること。

 それくらい人間にとって、褒められることは快楽であり、バカにされることは屈辱なのだろう。もしもあなたが何かの業界の重鎮で、新人潰しをしようと思ったら簡単だ。権威がありそうな賞を作るのである。そして賞には決まって、大して面白くないものを選び続ければいい。新人たちは競ってつまらない物作りをするようになり、重鎮のあなたは安泰というわけだ。

 メジャー島には絶対的な観客数が多い。当然、頭のよしあし、知識の量、嗜好にはばらつきがある。頓珍漢な批判を受ける確率も高くなる。最近のYOASOBIなんかも、「少なくとも家のスピーカーで聴く音楽じゃない」と言われていて可哀想だった。今時、家のスピーカーで音楽を聴く人なんてどれだけいるのだろう。

 もちろん、メジャー島に住み続けることは難しい。大衆は移り気で、次々に新人が発掘される。同じことを続ければ飽きられるし、新しいことに挑戦すれば「変わったね」と客が離れていく。長年活躍を続けているミュージシャンは、ファンの教育が上手い。既存ファンだけではなく、より大衆向けの作品を発表したり、その塩梅が絶妙なのだ。

 評価は時代によっても変わる。日本を代表する文学作品として名高い「源氏物語」も、中世には酷評されていた。作者の紫式部が虚言を書いたことで地獄に落ちてしまったという紫式部堕獄説が唱えられたほどだ。

 他人の声を気にしすぎても仕方ない。しかし嫌われる勇気を持つのは難しい。褒め上手のAIの登場でも待てばいいのだろうか。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2021年2月11日号掲載

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