「中野太郎」死から1カ月 長男が語っていた脳梗塞、最側近が明かす「宅見若頭襲撃事件」

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九州を転々と

 中野元会長の晩年については、前妻の息子にあたる長男が竹垣氏に明かしてくれたことがあったと言う。

「私とご長男は小さい頃からなじみで、私が中野会に在籍していた頃には、家族でよく私の地元・姫路に遊びに来たものでした。彼はカタギとして暮らし、私が中野会から古川組に移籍してからはしばらく音信が途絶えていたものの、2019年になってFacebookを通じておよそ20年ぶりに交流が再開したんです」

 その年の7月、長男と再会したという。

「中野元会長は2003年1月に脳梗塞で倒れ、05年に引退し、しばらく大阪に住んだ後、福岡県の門司に移り、以降は九州を転々としていたようです。ちょうど2011年ごろに死亡説が流れ、京都で暮らす長男のところにも“亡くなったのか?”という問い合わせがあり、中野元会長の後妻に長男が尋ねたところ、“そんなことはない”ということだったので、大分県の別府にいる中野元会長に会いに行くことにしたそうです」

 思いのほか元気ではあったが、脳梗塞の後遺症なのか記憶障害が出ていた。

「長男曰く、『私が息子であることを認識してはいるのですが、話の途中で“誰?”と聞かれることが度々ありました。それでも調子が良いときにはまだ充分会話ができたのです』ということでした。それが、13年に大分県の湯布院に移った頃には、息子かどうかが誰なのかもわからなくなり、言葉も不自由になり、『時々思い出したように、おー、おーと、うなることがあった』ということでした。怒っているように見えたが、表情から察すると、それは何かの意思表示だったと。ご長男は19年6月にも同じく湯布院に中野元会長を訪ねていると話していましたが、病状は改善することはなかったそうです。ヤクザの最期は寂しいことが少なくないけれど、親分はよりいっそう寂しい感じがします」

デイリー新潮取材班

2021年2月9日掲載

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