「中野太郎」死から1カ月 長男が語っていた脳梗塞、最側近が明かす「宅見若頭襲撃事件」
そうではないと思っています
「ケンカ太郎」の異名を取った中野会の中野太郎元会長の死去(享年84)から1カ月。脳梗塞から言葉の発声もままならぬ晩年だった。暴力団史に残る「宅見若頭襲撃事件」の責任を問われ、絶縁処分が下ったが、あのとき何があったのか? 元会長の長男が語ったこととは? 5代目山口組中野会若頭補佐を務めるなどした後、2005年にカタギとなり、現在は暴力団員の更生を支援するNPO法人「五仁會」代表の竹垣悟氏が、かつて仕えた親分のことを振り返る。
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1997年8月28日、神戸市内の新神戸オリエンタルホテル4階のティーラウンジ「パサージュ」で、5代目山口組の宅見勝若頭が4人の作業服姿の男に銃撃される事件が発生した。
宅見若頭は搬送先の病院で1時間後に死亡。隣席に座っていた歯科医も流れ弾に当たり、その後に亡くなったことで、抗争への風当たりは一気に強まることになる。
誰が何のためにやったのか、今もなお判然としない部分は残されているが、犯行は中野会関係者によるものと直後に判断され、中野元会長に絶縁処分が下されたのだった。
当時、若頭補佐として中野会を支えた竹垣氏によると、
「親分(中野元会長)は処分を不服として、解散せずに一本独鈷(どっこ)の道を選びましたが、最側近が相次いで射殺され、結局は解散届を大阪府警に提出しました。資金力が絶大なナンバー2である宅見若頭のことを快く思わない5代目の渡辺芳則組長が“(若)頭を殺せ”と言ったのを受けて、親分(中野元会長)が動いたという説もありますが、私はそうではないと思っています」
中野元会長は渡辺5代目と同じく山健組の出身。渡辺5代目が2代目山健組組長時代には中野元会長が舎弟頭補佐に就き、山一抗争が終わって渡辺組長が5代目を襲名すると中野会は山口組の直系組織へと昇格。中野元会長自身も若頭補佐となった。
物欲も出世欲もなく
中野元会長自身、渡辺5代目の最側近を自認していたわけだが、では、宅見若頭銃撃は実際どうだったのか?
「親分(中野元会長)は酒飲んだらワケがわからなくなるタイプで、ある酒の席で、中野会風紀委員の吉野和利と一緒にいるときに、“宅見を殺せ”と言ったのが真相ではないでしょうか。その吉野が総指揮者となって、宅見若頭は銃撃されました。親分はなんでそんなこと言うたんかなぁと思ってしまいますね。親分は物欲も出世欲もなく、カネにもそこまで執着しない人間で、男の中の男だっただけに残念です。酒が入ってよくわからないまま口走ったことが、独り歩きして実行されてしまったのか……。所属する組織のさらに上部の組織のナンバー2を“殺れ”というのはいくらなんでも筋道が通らない。筋道を外したらヤクザの世界は成り立たないし、そんなことくらい親分がわからないはずがない。酒が悔やまれます」
若頭銃撃の約1年前には、中野元会長が行きつけの理髪店にいるところを、会津小鉄会系の組員に銃撃されている。
「そのとき中野会若頭補佐の高山博武が店の内から、店の外からは私の舎弟・梁瀬利治がそれぞれチャカを持って警戒していました。襲撃してきた相手2人をちょうど挟み撃ちのような格好にして射殺し、親分(中野元会長)にケガはなかった。京都駅の再開発で中野会と会津小鉄会とがぶつかっていて、それが事件の原因かなと思っています。この一件は宅見若頭が親分をすっ飛ばして会津小鉄側と手打ちをし、そのことに親分がひどく怒っていたという話もありますが、実態は判然としません」
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