戦後日本を代表する評論家「加藤典洋」の素顔 現代に失われた「わかりづらさ」と「飾らなさ」

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金ぴかの意匠と大声ばかりの現代に

 ところで、加藤さんの文章は読みづらい。単語ごとに立ち止まり、考え込んでいるような文章だ。美文・名文の類でないのは間違いない。

 だが、あの文章は、加藤さんの人柄そのものでもあったと思う。飾らず、衒学的なところがない。

 高架の上にある冬の中央線のホームは、吹きさらしで寒かった。加藤さんと教え子たちはまだ喋っている。

 電車が近づいてきたとき、ふと加藤さんが若者たちの輪を離れ、こちらにやってきた。寒さに耐える顔が深刻そうに見えたのかもしれない。

「今日はね、いいアドバイスができたと思っているんだ」

 上機嫌の加藤さんは、そう言い残すと去っていった。電車に遮られていた北風が吹きつけたが、私の頬は緩んでいたかもしれない。

 それが加藤さんを見た最後だったと思う。

「文は人なり」という言葉がある。その真偽はわからない。しかし、少なくとも加藤典洋に当てはまったことは間違いない。

 金ぴかの意匠と大声ばかりの現代に、加藤さんのような書き手がいたことは希望ではないだろうか。我々は、必ずしも騒々しいほうに向かわなくていい。

佐藤喬(さとう・たかし)
ライター、編集者。1983年生まれ。著書に『逃げ』(小学館)、『1982 名前のない世代』(宝島社)など。

デイリー新潮取材班編集

2021年2月7日掲載

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