戦後日本を代表する評論家「加藤典洋」の素顔 現代に失われた「わかりづらさ」と「飾らなさ」

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「本を書くことなど、子供を育てることに比べたら…」

 戦後日本を代表する評論家の一人である故・加藤典洋。生前交流のあったライター・佐藤喬氏に、朴訥で飾ることのなかった加藤氏との思い出を語ってもらった。

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 評論家の故・加藤典洋さんにはじめて会ったのは、たしか神保町の喫茶店だった。著書(『1982 名前のない世代』宝島社)の帯に推薦文をもらったお礼を言うためだった。

 何を話したのかは覚えていない。だが、加藤さんの強い訛りは印象に残った。朴訥とした人だな、と感じた記憶がある。

 その少し後に推薦のお礼を兼ねた少人数の酒席が設けられたのだが、途中から、どういうわけか、参加者が私的な打ち明け話をする流れになってしまった。「あの加藤典洋」を前にした緊張とアルコールとが良くない相乗効果をもたらしたのかもしれない。

 そこで、ある、重い過去の経験を述べた一人に対し、加藤さんは「本を書くことなど、子供を育てることに比べたらなんでもない」という意味のことを言った。言うまでもないが、加藤さんはご子息を亡くしている。

「10%しか読んでいないよ」

 明治学院大学と早稲田大学で教えた加藤さんの周囲には、教え子を中心とした(と思う)サークルができあがっていた。彼らは定期的に読書会をし、会の後は安居酒屋で加藤さんを囲んだ。場所は中央線沿線が多かった。

 そこでの加藤さんは、鋭さの片鱗のようなものを見せることもあったが、若者たちにからかわれながら楽しそうだった。好々爺の入り口に立っていたと言うべきか。

 ただし、もちろん加藤さんは、朴訥としているだけではなかった。何度か顔を出したその飲み会で、丸山眞男について放言したときだったと思う。横で他人と話していた加藤さんはただちにこちらを向き、「佐藤喬は、丸山を10%しか読んでいないよ」と言った。

 たしかに加藤さんは正しかった。私は黙り込んだ。

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