ハンク・アーロン、王貞治との本塁打競争(1974年)を振り返る、銀座で購入したモノは?
「正しい打撃フォーム」
更に引用を続けよう。ホームラン競争後に行われた記者会見の様子だ。
《アーロン「いい気分だ。王を見ていて、私の20代前半を思いだしたよ」。王「もう1本打ちたかったが──。でも、さすがですよ」》
《母国でも「静かな男」といわれるアーロンは、後輩の王をいたわるようにいう。「今日の競争の意義は、王に会えたこと、お客に楽しんでいただいたこと、この美しい国に来られたこと、こんな競争に負けたことで、王に悪い影響がないように願う。彼のホームランはきっと800本に達するよ」》
朝日新聞は同じく3日の朝刊に「アーロン“うまさ”で勝つ」との記事を、打撃フォームの分解写真と共に掲載した。
《5万の観衆が、アーロンの一打、王の一打に、どよめく。結局、先に打った王の9本を上回ってアーロンが10本目を打つと、自ら競争を打ち切った》
《さすが“世界の強打者”にふさわしい、すぐれたバッティングだった。その基盤は、やはり正しい打撃フォームだった》
出生は“ディープサウス”
2人のホームラン競争は全米でもテレビ放映されたというが、王の一本足打法はアメリカ人にも衝撃を与えたという記事も残っている。
朝日新聞はアーロンのフォームを《ある面からみれば、地味だが、大振りを避けた柔軟性のある打撃、器用さが特徴》と解説。巨人の監督を務めていた川上哲治(1920~2013)の「ともかく、球の捉え方がうまい」というコメントも紹介している。
アーロンの詳細な伝記を掲載したのは、「月刊メジャーリーグ」2005年4月号だ。
彼が生まれたのはアラバマ州。南部より“ディープ・サウス”の単語を使ったほうがいいだろう。黒人差別の厳しかった地域だ。同誌はアーロンの次のような言葉を載せている。
《ここで育てば、忍耐心はひとりでに身につく。敬意や平等はもちろんのこと、バスの前部座席にすわる権利を得るだけのことに一生を費やした人がいるのだ。それにくらべれば、真ん中に入ってくるスライダーを待つなんて、なにほどのことでもない》
高校時代からセミプロのリーグでプレーを積み重ねたが、しっかりとした指導を受けたわけではない。当時のアーロンはバットを握る際、右手と左手の位置が逆だったというエピソードが残っている。
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