夜中に正体不明のかゆみが たまらず緊急訪看に頼った夜──在宅で妻を介護するということ(第18回)
救急車のようにサッと来てはくれない
「プルルル、プルルル、プルルル……」。息せき切って電話したが、10回鳴っても誰も出ない。何だ、24時間対応ってうそっぱちかと一瞬絶望感が押し寄せてきたが、そんなはずもないだろう。トイレかもしれない。
受話器を置くとすぐに折り返しの電話がかかってきた。よかった。その晩の宿直担当の看護師さんからで、事務所からの転送を受け、自宅からケータイでかけてきたようだった。
「どうされましたか、平尾さん」。 初顔の看護師さんだった。なるべく冷静に現状や痒みの経緯を伝えると、先生(主治医)に電話して指示を仰ぎ、即折り返すという。その間にも隣室から女房の「あぁ、痒いよ~」の叫び声。その声が聞こえたのか、看護婦さんも急いで電話を切った。
次の電話が鳴るまで30分。この間が異常に長く感じた。医師と連絡が取れ、今から準備してこちらに向かうという。彼女が到着したのはそれからさらに40分後、日付は変わっていた。またそのころには、女房は半ば落ち着きを見せ始めていた。
なんでサッと来てくれないのかとその時は思った。しかし、あとから考えてみると、24時間対応=救急車並みの対応だと早合点する自分がおかしい。民間の訪問看護ステーションにそこまで求めるのは酷な話。来てくれるだけでもありがたいのだ。
医師は来なかった。看護師さんだけが重そうな機材を肩にかけ、1人でやってきた。聴診器を当てると、再度医師を呼び出してやり取りを始め、指示された通り、「点滴」と、興奮や不安を抑える「抗精神病薬」の筋肉注射をする。処置を終え30分もすると女房は眠りに落ちた。
その間、看護師さんはずっとベッドサイドに立って様子を見守っていてくれた。「落ち着いたようですね」と帰り支度を始めたとき、時計の針は優に深夜1時をまわっていた。24時間対応の看板に偽りはなかったのである。家族にとっては救急車を呼ぶよりはるかに負担が少ない──訪問看護のありがたみが身に染みた一夜となった。
翌日、女房が目を覚ましたのは午後1時ころ。痒みとの6時間を超える格闘にエネルギーを消耗したのか、本当に死んだように眠っていた。目を覚ますと、スッキリした顔で痒みもないらしい。昨晩のことを聞いてみると、なんと「全く覚えていない」とか。私はそのまま膝から崩れ落ちそうになった。
中枢神経がやられてしまっているから
これが最初の“かゆみ発作”(私が勝手に命名)の顛末(てんまつ)である。平穏な、ゆっくりした回復基調の日々が半年ほど続いた後に、こんなアクシデントが待ち受けているとは思わなかった。介護をなめてはいけない。
いや、実は突発的出来事ではなかったのだ。このかゆみ発作はその後も頻発した。その3週間後、2週間後、4日後、10日後にも現われ、その都度(決まって深夜)計4回も看護師さんを呼び、同じ処置をお願いすることになった。
それまで、深夜はノーコールだった優等生がいきなり問題児になってしまったのである。私自身、日が暮れると「今夜は呼ばずに済むだろうか」と気が気でならなかった。おそらく7~8月にかけて、宿直担当の看護師さんのブラックリストに名前を連ねていたと思う。
結局、痒みの原因は何だったのか──。次回の訪問診療時に採血をしたところ、皮膚病はもちろん、痒みの症状を呈する臓器(腎臓や胆のうなど)の異常は見つからなかった。私も、彼女の体重の急速な増え具合(6~9月で4kg増)から、内臓疾患はないだろうと思っていた。
では何が考えられるのか──。脳神経科を専門とする訪問診療の主治医は、最初からこうなることが分かっていたかのように、こう診断を下した。
「中枢神経をやられていますからしょうがないですね。今後も出ますよ。痒いだけじゃなく、寒い、熱い、頭が痛い、胸が苦しい……。自律神経失調の激しいものと考えたらいい。治るには脳の再生作用に期待するほかありません。当面はクスリをうまく使ってコントロールしていきましょう」
デイサービスの灯りが近くに見えてきたと思ったらこれだ。でも、敵の正体が分かっただけでも良しとしよう。医師から、筋肉注射に使用したクスリの錠剤を頓服として処方してもらい、その後は看護師さんを呼ばずに済むようになった。
実は、この原稿を書いている今も、かゆみ発作との闘いは続いている。医師が言ったように、痒み以外のいろんな症状が日替わりで出現しては私を驚かせ、時間を奪い、これまで感じたことのなかったストレスを増幅させている。
「在宅なんて楽勝」と言い放った私をあざ笑うように……。
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