高橋尚子が語る“運命を変えた”瞬間 「小出監督」との15分間の面会で(小林信也)
レース当日のメニュー
オリンピック出場を手繰り寄せ、大きな期待を得たのは、1998年の名古屋国際女子マラソンだ。
「大事な大会の時は1カ月前から毎日の練習メニューを書いた紙を渡されます。でも私は次の日のメニューしか見ませんでした」
大会前日、レース当日のメニューを見ると、“日本記録”とだけ書いてあった。
「“そんなの無理”と思いました。自己記録より6分も速いタイムです。でも、ここまで練習をやり遂げてきたのだから、自分で壁を作るのは違うかなと」
結果は2時間25分48秒。小出の“予定”どおり、日本記録を更新した。
シドニー五輪当日の予定は何が書かれていたのか?
「何も書いてありませんでした。何も指示がなくて、自由に走って来いって」
2000年9月24日。リディア・シモンとの闘いを制して金メダルを獲った。
「最後の200メートルはものすごくきつかった。でも、私とシモンさんだけがレースの空気のピリピリ感を切り裂くように走って行ける。すごく気持ちのいい時間でした」
目の前の課題を追い続け、気づいたら誰もが“夢”と呼ぶ頂(いただ)きにたどり着いていた。
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