「お母さん食堂」炎上は“女性同士の対立”を助長? 「おかあさんといっしょ」も改名すべきか

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 コロナ禍で帰省もままならない昨今、ふと懐かしく思い出されるのはおふくろの味かもしれない。「お母さん食堂」に抗議の声を上げた人々は、そこにも性差による家事負担の偏りを見出すのだろうか。男女平等という美名の陰に垣間見える違和感の正体とは――。

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〈食事は「お母さん」が作るものと性で役割を固定し、女性の社会進出を拒む〉、〈「お袋の味」と何が違うんだろ? 私にとっては料理上手だった母親のご飯を思い出すし問題ない〉

 ネット上で火がついた侃々諤々(かんかんがくがく)の論争は、ウェブメディアや全国紙まで巻き込んで燃え盛るばかりだ。

 俎上に載せられたのは、ファミリーマートが展開する「お母さん食堂」。元SMAPの香取慎吾がイメージキャラクターを務める惣菜ブランドは、目下、炎上騒動の渦中にある。

 発端となったのは、3人の女子高生による署名活動だった。2019年の夏にガールスカウト日本連盟が、ジェンダー平等に関するプログラムを実施。これに参加した兵庫、京都、岡山の女子高生がお母さん食堂のネーミングに疑問を抱き、昨年末に名称変更を求めてオンラインで署名を募った。

 彼女たちの言い分は以下の通りである。

〈「お母さん食堂」という名称があることで、お母さん=料理・食事というイメージがますます定着し、母親の負担が増えることになると考えています〉、〈「男の人は仕事をしていればよくて、家事は女の人の仕事」と無意識に考える男の子もいると思います!〉(署名サイト「Change.org」に掲載された文面より)

 無論、高校生が世の中に一石を投じることを否定するつもりはない。真面目な子どもたちが真剣に考えて、問題提起したのだろう。

 しかし、お母さん食堂が、名称変更を迫られるほど差別的な表現なのかと問われれば、どうにも首を傾げざるを得ないのだ。

「ファミリーマートは日本人が持つ“お母さん”のイメージを借りただけで、誤った表現を生み出して広めたわけではありません。食品の名称に使ったからといって“母親だけに料理を押しつけている”と批判するのは安直な発想。その点に多くの人が違和感を覚えたのだと感じます」

 そう語るのは、評論家の唐沢俊一氏である。

「妊娠・出産を経験した女性が、子どもの健康や栄養管理について男性よりも細やかな配慮ができると考えるのは決して間違った解釈ではないはずです。料理は母親の負担ではなく、食育という重要な仕事を託されているとも捉えられる。一方で、手の込んだ煮物や自家製のぬか漬けといった“おふくろの味”は死語になりつつあります。少なくとも、家庭に閉じこもって三食の献立に頭を悩ませる母親像は、すでに滅びていると言ってもいい。それなのに、お母さん食堂の名称だけを取り上げて、女性の権利を奪うことにつながるとあげつらうのは時代感覚がズレているのではないか。署名が目標の1万人に達しなかったことも、それを表していると感じます」(同)

 ジェンダーの観点から企業に異議申し立てがあったのは、今回が初めてではない。1975年に放送されたハウス食品のインスタントラーメンのCMは、「私作る人、僕食べる人」なるフレーズが女性団体から抗議を受け、放送中止に追い込まれた。

 とはいえ、評論家の大宅映子氏に言わせると、

「1980年代に“愛妻号”という洗濯機が発売された時は腹が立ちましたけど、“お母さん食堂”には何も感じませんね。子どもたちにきちんとした食事をとらせるのは、自分だけではなく次の世代にも影響を与えることですから、私は365日、料理を作ってきました。料理をするのが嫌なのなら、作らなければいいだけの話でしょう。“母親だけが酷い目に遭っている”と主張したいがために、お母さん食堂を槍玉に挙げたのでしょうけど、もはや女だから、男だからと言い募る時代ではありません。フェミニズムの立場で戦うべき相手はもっと他にあると思いますよ」

キャンセルカルチャー

 確かに、「お母さん食堂」が偏見を助長するのであれば、他にも問題視されそうなネーミングは少なくない。

 たとえば、60年以上にわたってNHK・Eテレで放送されている「おかあさんといっしょ」。多くの日本人が幼少期に、あるいは子育て中に親しんだ国民的番組だが、よくよく考えれば、この番組名も母親=育児というイメージを想起させる。また、食器用洗剤のママレモンや、防虫剤のミセスロイドなども、母親と家事を結びつける発想から生まれたものだろう。

 だが、お母さん食堂を含め、ここまで世間一般に浸透した名称を“アンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)”と呼んで断罪する姿勢は、多くの理解を得にくいように思える。

 一方、日本以上にポリティカル・コレクトネス(政治的妥当性)に厳しいアメリカでは、「お母さん食堂」や「おかあさんといっしょ」どころか、“お母さん”という言葉自体が消滅しかねない状況にあるという。

 NY州弁護士で、信州大学特任准教授の山口真由氏によれば、

「今回、署名活動を行った高校生や、それを支援するガールスカウト日本連盟は正義感に基づいて動いたのだと思います。ただ、表面上の名称を変えることにどれほど意味があるのかは疑問です。多様性のある社会とは、否定的な意見も含めて受け止める社会だと思いますが、実際にはポリコレに反する意見を排除して、息苦しい状況を生んでいるように感じられてしまう。アメリカでは最近、下院規則のなかの性差を表す言葉の全面的な書き換えが提案されました。父や母はparent、息子・娘はchild、きょうだいはsiblingといった具合です。最近のアメリカ人は、ありとあらゆる場面で自分の発言がポリコレに反していないか注意する必要に迫られ、相当なストレスを抱えています」

 山口氏は、こうした状況が2017年のトランプ大統領誕生を後押ししたと指摘する。大統領選の対抗馬となったヒラリー・クリントンはポリコレを重んじて綺麗ごとしか話さず、対するトランプは建前ではなく本音を語った。この印象の差がトランプに勝利をもたらしたというわけだ。

 ハーバード大学ロースクールを修了した山口氏によると、それ以外にも、

「学術分野では、どれほど科学的に価値のある論文を書き上げようと、ジェンダーに関する単語が適切に使用されていないだけで“性差別主義者”のレッテルを貼られ、評価の対象から外される恐れすらあります。母性と父性に生物学的な違いがあるのか、といった本質的な探究もタブー視されてしまう。さらに問題を深刻にさせているのは、90年代半ば以降に生まれたいわゆるZ世代の若者たちです。彼らは“キャンセルカルチャー”の世代とも呼ばれ、ネット上で差別や問題のある表現を見つけては告発し、地上から消し去るまで攻撃をやめません。彼らが幼少期から利用するSNSは、AIによって個人の嗜好にフィットする情報ばかり流れてくるため、物事を多面的に理解できない。お母さん食堂のお惣菜には、家事を楽にする側面もあると思うのですが、そこに目を向けないまま表層的な部分だけが批判されている。アメリカのようにポリコレが先鋭化した世の中ではなく、もっと成熟した、大人の収め方ができる世の中になってほしいのですが」(同)

魔女裁判

 ファミリーマートのHPに記された「お母さん食堂」のコンセプトには、〈仕事と子育ての両立で忙しいお母さん達が、子供や家族みんなに安心して食べさせられる食事であること〉とある。

 つまり、お母さん食堂は、〈女性の社会進出、共働き世帯の増加〉(同HP)を念頭に、料理にかかる母親の負担を軽減しつつ、栄養バランスの整った食事を提供することを目的に企画されたのである。

 そうした前提を端折ったまま、ブランド名だけをあげつらうのは、言葉狩りと捉えられても仕方ないのではないか。

 国際政治学者の三浦瑠麗氏も、今回の騒動には疑義を呈する。

「男女が平等に家事を分担すべきだという一見正しい目的のためとはいえ、お母さん食堂のネーミングを批判したところで、人々に行動変容を迫ることは難しいと思います。“motherhood and applepie”という言葉が米国にありますが、多くの人にとって、母性やアップルパイというのは当たり前の“良き物”だからです。そのステレオタイプの撤回を求めることは、誰かがお母さんの料理という言葉に対して抱く美しい記憶を、否定しろと言っているように受け止められてしまう」

 言うまでもなく、正義感から始まった行動だったのだろうが……。

 三浦氏が続ける。

「日本では専業主婦という生き方を否定する人は従来少なかった。近年ではエンパワメントの観点から、女性が男性と同等に稼ぐことが奨励されていますが、それが特定の生き方へのバッシングになってはならない。家事労働は経済的にも一定の価値を持っています。お母さん食堂の商品が有料であるように。専業主婦か共働きかにかかわらず、女性が経済的自己決定権を得られるよう尽力するのがフェミニズムの役割だと思います。しかし、ある種のフェミニストは自分たちと異なる生き方をする女性に対して不寛容で、攻撃的です。それはフェミニズムが目指す女性の権利や地位の向上といった目的から外れ、女性同士がいがみ合う構造を助長している。企業に圧力をかけるよりも、多様な生き方があることを示す方が前向きな変化につながるでしょう。自分の意思で専業主婦を選び、家族のために料理を作る女性の生き方にまで介入してしまえば、いずれ好ましくないとみなされた女性に対する魔女裁判にも発展しかねません。今回の署名活動に携わった若い人には、過去の歴史のなかで、正義を錦の御旗に掲げた人間がいかに醜いことを行ってきたかも含めて学んでいってほしいと思います」

 他方、脚本家の橋田壽賀子氏はこう言う。

「私は古い人間なので、家事は自分の仕事だと思っていました。(泉)ピン子が家に来ると、私が台所から戻らずに動き回っているので“女の敵だ!”って言われますけどね。私が結婚したのはちょうど仕事が来なくなった時期で、どうせなら月給を貰える人と一緒になりたいなと考えていたんです。覚悟して結婚したから家事を苦労とは感じなかった。家庭でも職場でも権利ばかり主張するのではなく、自分が負担を感じない落としどころを見つければいい。いまの時代、料理がしんどければ、自分で作るよりよっぽど美味しいお惣菜が買えるんですから」

 問題は、極端なジェンダー論を正義と唱える一部の大人やメディアが、何でも“差別”と叫び、空気を醸成したことにある。それに触発される形で今日の騒動は起こった。不寛容な社会の行き着く先たるや……。

 いたずらに対立を煽ることは、“お母さん”の幸せにはつながるまい。

週刊新潮 2021年1月28日号掲載

特集「それなら『おかあさんといっしょ』もダメ!? ファミマ『お母さん食堂』炎上騒ぎへの違和感」より

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