肺がんで余命2年と宣告された医師の告白 「コロナは5類に。報道には虚しさを感じる」

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「一度きちんとした診察受けてみたら」と妻が言った。阪急電鉄六甲駅近くの「関本クリニック」の関本剛院長(44)は2019年夏ごろ咳き込むことが増えた。小児喘息の経験があり、大人になってからも空気の悪い場所で咳き込むことがあり、さして気にしなかったが「医者の不養生といわれるのも本意じゃない」とばかり検査を受ける。

 10月3日、六甲病院で知人の医師に胸部CTを撮影してもらう。胃カメラ撮影の仕事の手伝いに通う馴染みの施設だ。だが、馴染みの放射線技師と一緒に写真を見た瞬間、頭が真っ白になる。

「肺がんだ」。あまたのがん患者の写真を見てきた関本さんには即座にわかった。腫瘍は胸膜に達し、一部気胸を起こし肺門リンパ節が膨れていた。

「これ本当に僕の写真ですか」と尋ねるのがやっと。かすかに期待した「間違い」も打ち砕かれた。写真には間違いなく「関本剛」という字があった。

「僕、肺がんやったわ。手術できないかもしれない」。母雅子さん(71)に電話した。雅子さんは緩和ケア医、ホスピス医として多くの人を看取り、『あした死んでも「後悔」しないために、今やっておきたいこと』(PHP研究所)などの著書もある著名医師。この日、彼女は剛さんが通っていた六甲学院中学・高校の「母の会」の集いに出かけ、子供や孫の話などに盛り上がる楽しい時を過ごした帰路だった。まさかの報に「ええ、どうして…」と涙声で動顛してしまう。

「余命2年」の宣告

 後日、関本剛さんは妻の運転で神戸中央市民病院へゆきMRIを撮るが、更なる衝撃を受けた。放射線科読影医のカルテには「大脳、小脳、脳幹への多発転移」とあるではないか。関本さんは「技師さんは『ちゃんと検査していないからや』みたいなことをと言いました。一番聞きたくない言葉でしたが彼も動揺していたんですね」と同情して振り返る。

 肺がんの脳転移は2、3か月で死に至ることもある。抗がん剤治療での「生存期間中央値」は「全存期間」で2年と知った。要は余命2年だ。

「ステージ4や。もう手術どころではない。ごめん」と謝る夫に「どうして…、あなたは何も悪いことしてないのに」と妻は泣き崩れた。「誰もいない面談室で一緒に号泣しました」。

 しかし「感傷」に浸る時間は短い。不治の病に対峙してまず考えたのは自分がこの世から去った後、子供たちが大学を卒業するまで、経済的に困窮しないか、試算することだった。

「契約している生命保険などを確認し、これから必要となるであろう医療費などは自力で稼ぎ、現有資産に手を付けさえしなければ、なんとかなるかもしれないと思えるようになり、少し気持ちが楽になりました」。とはいえ、高額な医療費を出すには可能な限り働くしかない。「仕事が好きでたまらいとは言いませんが、医師を目指していた時から生業にしたいと思っていた緩和ケアの分野で働けているのだから、自分は恵まれている。頑張って働こうと思いました」。

 余命を宣告された人が「それなら」と好きなことだけをして過ごす場合もある。映画好きの剛さんが見た『最高の人生の見つけ方』という米国映画はそうした二人の男が主人公だ。「当事者になると、遊んでばかりいられないけど、自分なりの『棺桶リスト』は作っているんです」。

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