米国レポートが二階幹事長を「親中派」と名指し 習近平の「反日演説」に媚びへつらい
「老朋友」
02年、二階は地元和歌山に江沢民の揮毫(きごう)を刻んだ石碑建立を計画。さらにそれを全国に広げようとした。
県議当選同期の二階の盟友、元和歌山県議会議長の門三佐博(かどみさひろ)が記憶を繙(ひもと)く。
「1975年に県議に初当選して1期目の時、二階さんと一緒に中国視察に行き、ホテルに置いてあった赤い背表紙の『毛沢東語録』をお土産として持って帰ってきました。二階さんには隣の人、隣国とは仲良くせなあかんという信念がある。彼にとっては江沢民も『老朋友(ラオポンヨウ)』なんちゃうかな」
その老朋友は1998年の訪日時、宮中晩餐会に中山服で出席する非礼を働き、さらにその場で天皇陛下(現上皇)を前に、「日本軍国主義は中国人民に大きな災難をもたらした」と放言。一瞬にして全日本国民を敵に回す。その江の石碑を建てることに世間は反発。だがただひとり、二階の心中は違った。
二階は言った。
「石碑についてあれこれ言うのは中国に対する礼儀を欠くことになる」(「週刊新潮」03年2月13日号)
天皇陛下への礼儀を弁(わきま)えない国に対する礼儀――。右翼団体の街宣がリフレインする。
「この男は一体どこの国の政治家でしょうか」
結局、世論の反対に遭い、二階は渋々石碑の建立を断念する。
二階の地元和歌山に、特殊法人「年金福祉事業団」が120億円もの年金資金をつぎ込んで建設した保養施設「グリーンピア南紀」。経営が行き詰まり、地元自治体に払い下げられると、05年、その土地と施設が中国系企業「香港BOAO」に、1億6千万円という破格の安値で事実上売却される。
BOAOのオーナーは二階と昵懇、しかも売買契約は二階が経産相だった時に大臣応接室で行われていた。自身が懇意にする中国系企業に公的施設をタダ同然で安売り……。
再びのリフレイン。
「この男は一体どこの国の政治家なのでしょうか」
結局、BOAOはグリーンピア南紀をほっぽり出し、地元は振り回されるだけの結果となる。
そして15年5月、二階は財界人など3千人の大訪中団を結成。二階らが集(つど)った北京でのパーティーで、習が反日演説をぶつ。
「日本軍国主義の侵略の歴史を歪曲し、美化しようとする言動を中国人民やアジアの被害国の国民は受け入れない」
二階は応じた。
「習近平閣下のご挨拶の意味を充分理解して、それを実現、実行するために我々も努力していきましょう」
遣唐使か、遣隋使か。見事な朝貢外交、華麗なる額(ぬか)づき。
三度(みたび)のリフレインはいるまい。
幹事長代理として二階を支える側近中の側近で、習近平国賓問題では中山を攻めた林幹雄が鼻を高くする。
「二階さんはこれまで計5回、習近平国家主席と対談しています。総理を除けば、政界でここまで国家主席に会っている人は他にいません」
その結果が習国賓訪日への固執、妄執。CSISレポートが一段と重みを増す。
林がなおも我が大将を自慢する。
「国は引っ越すことができないのだからなるべく仲良くしようや、というのが二階さんの基本的な考え方です。細かいことには目くじらを立てない、とでも言えばいいのかな。中国とも韓国とも」
こうして二階の麗(うるわ)しき隣人愛は韓国にも向けられていく。
インドネシアでの乾杯相手
3千人大訪中団を率い「遣習使」と化した二階。その3カ月前の15年2月、彼は1400人の大訪韓団を引き連れソウルにいた。普段、志帥会(二階派)の先輩である元運輸相の亀井静香曰く「くらーい顔」した二階は、この時、笑顔で大統領の朴槿恵(パククネ)と握手。二階の韓国への思い入れも、中国に劣らぬものがある。
〈二階氏は2010年、日本の民間団体による和歌山県での金忠善(キムチュンソン)将軍の記念碑建立に助力し、記念碑に韓日友好を願う文章も残した〉(15年1月27日付朝鮮日報)
金忠善、日本名「沙也可」。豊臣秀吉の朝鮮出兵時、敵方に寝返った日本にとっての裏切り者である。
二階は自由党時代、小沢一郎を裏切り、大臣ポストに居座った過去を持つ。似た匂いを感じるのか、沙也可への親近感を隠さない二階は、その顕彰碑の除幕式に出席する。
〈日本人武将・沙也可、朝鮮名・金忠善の顕彰碑が和歌山県和歌山市・紀州東照宮境内に建立された。和歌山が地元の自民党の二階俊博衆議院議員が9日、聯合ニュースに伝えた〉(10年12月10日聯合ニュース)
わざわざ裏切り者の碑建立のニュースを韓国に売り込んだ二階。溢れ出る韓国愛。改めて右翼団体の街宣が思い返される。
「竹島はどこにあるのか見えないほど小さな島だと発言」
12年、韓国で行われた麗水(ヨス)国際博。竹島問題を理由に、日本の国会議員からは参加すべきではないとの意見が出た。ここで二階の半島愛が迸(ほとばし)る。韓国メディアのインタビューに二階はこう答えた。
〈韓国が作成した麗水国際博の広報紙に、竹島が韓国の領土として記載されているとの理由で、(日本の)議員たちの不満が大きかった。地図を見せて「竹島がどこにある。見えないほど小さな島じゃないか。大げさに振る舞うのではなく、隣国のイベントの成功に向け力を合わせよう」と説得した〉(11年11月28日付朝鮮日報)
二階には愛はあったが智がなかった。小国バチカン市国も独立国家であり、御坊市も世界地図ではどこにあるか見えないほど小さい。領土問題は面積では語れない。主権は「平方メートル」で譲るべきものではない。
齢81、二階俊博。
誰かがどこかの教育課程で、主権の意味を教えてあげるべきだった。
昨年12月、二階が愛する韓国は竹島周辺で軍事訓練を行い実効支配を強め、年が明けた1月8日、日本政府に元慰安婦への損害賠償を命じる国際法無視の判決を下す。
また1月6日、中国の圧政により、香港では53人の民主派元議員らが暗黒法を適用され逮捕された――。
1月10日、御坊市。寒風吹き荒(すさ)ぶなか、再び右翼団体の街宣車が集結した。
「安倍元総理が韓国や中国に毅然とした態度を示していることで向こうの出方も確実に変わりつつある今、二階俊博大先生は日本の外交は大きな転換点を迎えていることに全く気付いていないのであります」
地元の男子小学生4人組が街宣車に向かって無邪気に手を振る。まだ低学年。無垢で小さなこの野次馬たちの未来を二階は担う。
「二階俊博先生は第一に日本国のことを考え、敵を欺(あざむ)くにはまず味方からの手法で行動されていると、私たちは信じております」
こうして「期待」を受ける二階の隣人愛は、中韓を飛び越え東南アジアへと広がる。
15年11月、全国旅行業協会の会長でもある二階は、今度は1100人を引き連れインドネシアを訪問。その宴席で、二階が盃を掲げた相手の顔には笑みが浮かぶ。
写真は語る。
二階を解釈するキーワード「融通無碍」。中韓への対応にも滲み出るそれが、その写真からも窺える。
二階と親しいジャーナリストは、「融通無碍」を「懐が深い」と翻訳しつつ、こう懸念する。
「だから大幹事長になった今も、付き合う必要のないような人たちを二階さんは近くに出入りさせている」
二階の隣で笑う男、その名は矢島義也。政治系シンクタンク「大樹グループ」会長。人呼んで、令和の政商――。
(敬称略)
[2/2ページ]