「ジャニーズJr.」22歳活動終了制度導入に見える、「可愛い子には旅をさせよ」の愛
元Jr.の就活生のケース
だが、その優しさが、長い目で見て少年たちの人生に悪影響を及ぼしてしまうのだとしたら――。
早い段階で、違う道に進んでもらうほうが彼らのためになるのではないか――創業者の死を受け、時代にあわせジャニーズという仕組みを引き継ごうとする人々が描いた“新たな愛の形”の判断のようにも思える。
もちろん、ジャニーズアイドルとしての芽はなくても、それは人としての芽がない、ということではない。
ジャニー喜多川はこうも語っている。
「どんな子にも、人間としての美しさはあるんですよ」(*1)
“人の可能性”を信じるジャニーズ事務所だからこその、愛ある「可愛い子には旅をさせよ」がこの制度なのではないだろうか。
そして「ジャニーズJr.として成功しなかったからといって、それが人生の旅の終わりではない」と思うようになった経験がある。
自分の話になってしまい恐縮だが、最後に紹介させて欲しい。
『ジャニーズは努力が9割』は4冊目の著書になるのだが、そこまでの3冊は就活及び自己表現・コミュニケーションに関するものだった。
2009年以降、並行して、10年以上にわたり大学での就活セミナーや、個別指導を行い、1000人以上の就活生と向き合ってきた。
その中で、最も優秀だと感じた男子大学生は――元・ジャニーズJr.だった。
僕が出会ったのは彼が大学3年生の時点で、僕より10歳以上年下だったが、ジャニーズという世界で頑張ってきた彼の話を聞いていると自然と尊敬の念が生まれた。
一度何かに必死になれた人は、他の何かにも必死になることができるのだろう――そう、今後の彼の可能性も強く信じることができた。
彼は10代でジャニーズJr.になり、多くのステージを踏んだが、自らの意思で辞め、大学受験をし、誰もが知る有名私大に合格。さらにはジャニーズJr.での経験がエンターテイメントの世界で裏方として働きたいという想いの根底に存在していた。
かつて、ジャニーズのライブステージで踊りながら、俯瞰でタレントたちを動かしている自分の姿が見えたのだという。
自分で見切りをつけなくてはならない
ジャニーズJr.はクビにならない。
それは、逆の言い方をすれば、自分の可能性に自分で見切りをつけなくてはならない、ということである。
10代という全ての可能性に想像を膨らませることができる期間において、自分を諦めるという行為は酷なことだ。
特にアイドルという仕事は、職業の選択肢を多く知らない若い時代ほど、わかりやすく魅力的に映り、ジャニーズJr.としてその入り口に立てた者には諦めがたい道のはずだ。
だが「自分が輝くのはこの場所ではない」と判断できる客観性と強さを、彼は持ち合わせていた。
ジャニーズだったということが色眼鏡で見られることなく、一般社会でもプラスに見えるよう2人で面接の戦略を立て、彼は高倍率をくぐり抜け、希望のテレビ局に就職した。
ジャニーズJr.としては優秀ではなかったかもしれない。だが、場所が変われば、優秀さの基準は変わる。
何がしたいのか、それにはどこが適しているかを自分で判断できたのは、10代のうちにジャニーズという真剣な世界で真剣に生きたことの賜物だろう。
悲しいかな、人生には多くの「ちょっと間に合わなかった」が存在する。年齢を重ねれば重ねるほど、取りうる人生の選択肢は少なくなっていく。
今回の制度は、そんな悲しみを、一度でもジャニーズという世界に関わった少年たちに味あわせないための、大きな愛なのではないだろうか。
(*1)NHKラジオ第一『蜷川幸雄のクロスオーバートーク』2015年1月1日放送
(*2)朝日新聞2017年1月24日
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