消えない「人種差別」闘い挑む米ゴルフ界のアクション 風の向こう側(86)
コロナ禍の厳しさが増した昨年12月に米ゴルフ界のビッグニュースと呼べるものは別段、見当たらなかったが、クリスマス明けには1つ、嬉しいニュースが流れた。
バラク・オバマ前大統領の妻ミシェル夫人が、夫に「バレンチノ・ディクソンさんの絵をプレゼントした」という見出しを見たとき、私は小躍りしたくなるほど嬉しくなった。
ディクソンさんのことを私が知ったのは、2018年の秋だった。米ツアーの試合会場のメディアセンターで、顔見知りの米メディアから、こんな話を聞かされたのだ。
「1991年に誤認逮捕され、殺人の罪を着せられて27年間、全米屈指の悪名高き刑務所と呼ばれるニューヨーク郊外の刑務所で服役していた48歳(当時)の黒人男性、バレンチノ・ディクソンさんが、刑務所の中でゴルフコースの絵を描き続け、その絵が元で冤罪が晴れ、自由の身になった」
ディクソンさんは無罪を主張し続けていたが、その声はなかなか聞き入れられなかった。身も心も疲れ切ったディクソンさんは、やがて声を上げることをやめ、自由時間に静かに絵を描くようになった。
ゴルフをしたことも、ゴルフ場へ行ったこともなかったそうだが、刑務所内にあった本や写真集を見ながら、ディクソンさんは自己流でゴルフコースの絵を描き続けていた。
その話を聞きつけた米ゴルフ雑誌の記者が2012年に刑務所を訪れてディクソンさんを取材。その際、無罪であることを確信したその記者とゴルフ雑誌社は、以後、ディクソンさんの冤罪を晴らすために活動し、それから6年がかりで無罪を勝ち取った。
その話を聞いて、私はゴルフコースやゴルフ記者、ゴルフ雑誌、総じて「ゴルフ」というものが、何かしらの形で1人の人間の人生の扉を再び開くことに寄与したことに感動を覚え、すぐさま私も記事を書いて日本へ発信した。
そのディクソンさんが、自由の身になって最初に描いた「オーガスタ・ナショナルGC」の絵が、ミシェル夫人からオバマ前大統領へクリスマスに贈られたことは、「ゴルフ」への注目が増え、「ゴルフ」が社会において果たす役割が増えたことのように感じられた。
さらに年明けには、帝王ジャック・ニクラス(80)がディクソンさんの故郷であるニューヨーク郊外のバッファローに5月から建設を予定している自身の設計コースのビフォア(建設前)とアフター(完成後)の絵をディクソンさんに依頼したことが明かされ、話題になっている。
「僕は絶望の淵から戻ってきましたが、この場所は僕が夢見ていた希望に溢れる場所です。その絵を描けることは大きな喜びです」
そう語ったディクソンさんの笑顔は、「ゴルフ」を介して人権や自由が得られた嬉しい出来事の象徴だと私は思う。
3人に「大統領自由勲章」
大統領と言えば、2019年4月に「マスターズ」を制し、メジャー通算15勝目を挙げたタイガー・ウッズ(45)が、翌月、ホワイトハウスでドナルド・トランプ大統領から大統領自由勲章を授けられたことは記憶に新しい(2019年5月8日『「大統領自由勲章」タイガー・ウッズと黒人ゴルファーの「歴史」』)。
大統領自由勲章は米国市民にとって最高の栄誉とされている。これまで同勲章を授与されたプロゴルファーは、ジョージ・W・ブッシュ大統領から授けられたアーノルド・パーマー(2004年)、ジャック・ニクラス(2005年)、バラク・オバマ大統領から授けられたチャーリー・シフォード(2014年)、そしてウッズは史上4人目だった。
その大統領自由勲章が今月7日(米国時間)、ゲーリー・プレーヤー(85、南アフリカ)とアニカ・ソレンスタム(50、スウェーデン)、そして今は亡きベーブ・ザハリアス(米国)の3人に贈られた。米国人以外のゴルファーの受賞は史上初となった。
プレーヤーとソレンスタムは2020年に受賞が決まり、昨年3月に授与式が行われるはずだったが、コロナ禍で2021年の年明けに延期されていた。
プレーヤーは1950年終盤から60~70年代に活躍し、メジャー9勝、米ツアー24勝を挙げて、パーマーやニクラスとともに「ビッグ3」と呼ばれたレジェンドだが、世界を転戦した際、南ア出身というだけの理由で彼自身が「人種差別主義者」と呼ばれ、激しい批判や批難を受け続けたという話を、以前、プレーヤー本人からインタビュー時に語っていただいた。
人種差別の多大なる影響を長年に亘って受け続けたプレーヤーは、だからこそ、差別のないゴルフ界や社会を心から望み、チャリティ活動に精を出して、85歳になった今なおゴルフの普及と発展、そして社会貢献に尽力している。
ソレンスタムはメジャー10勝を含む通算72勝を挙げ、米女子ゴルフ界を席捲した元女王だが、スウェーデンから米国に来た当初は外国人ならではの苦労があり、女性ゴルファーならではの苦労も味わい、だからこそ、引退後は外国人やマイノリティ、そして女性ゴルファーの地位向上や教育に寄与してきた。
そんな彼らがこの勲章を受章したことは、ゴルフ界そして社会における国籍や性別の壁がまた1つ払拭されたことを示していた。
皮肉なことに、トランプ支持者たちによる米連邦議会議事堂突入の暴動が起こった翌日が授賞式だったため、勲章を受け取ったプレーヤーやソレンスタムが、一部の米メディアから“トランプ寄りだ”と批判される事態へ発展してしまったことは悲しい限りだが、政治的な意味合いや暴動事件を切り離して考えれば、彼らの勲章受章は「ゴルフ」が高く評価された証だったと言えるのではないだろうか。
「オーガスタ」の奨学金
米PGAツアー選手たちの歩みを振り返れば、1980年代から活躍したドイツ出身のベルンハルト・ランガー(63)は、米ツアーに参戦していた際、アメリカ人ではないという理由で「たびたび差別を受けた」と語っていた。
1996年にデビューし、ゴルフ界の王者となったウッズも、幼少期は黒人であるという理由で差別を受けた経験を公の場で明かした。
辛酸を舐めた先人たちの努力、周囲の優しさや理解、尽力のおかげで、近年の米ゴルフ界におけるそうした差別は、以前と比べれば大幅に改善されつつある。しかし、いまなお残っていることも事実だ。
根深い問題を根絶するための努力はこれからも求められるのだが、それと同時にもう1つ求められる努力は、ゴルフを身近に感じていなかった人々にもゴルフの楽しさや素晴らしさを伝え、ゴルフをもっと広く普及させるということである。
コロナ禍の影響で延期され、史上初の11月開催となった昨年のマスターズの開幕前、オーガスタ・ナショナルのフレッド・リドレー会長は、1975年に黒人選手としてマスターズに初めて出場したリー・エルダー(86)を2021年大会に招き、ニクラスやプレーヤーとともに名誉スターターを務めてもらうことを発表した。
さらにリドレー会長は、エルダーの名を冠した奨学金制度を創設し、オーガスタ市内にある黒人主体の「ペイン・カレッジ」ゴルフ部の男女各1名に奨学金を授けることも誇らしげに発表した。
「今やるべきことを」
その3日後。マスターズ初日のスタート直前、テキサス州にある黒人主体の「プレイリー・ビューA&M大学」が、こんなリリースを発信した。
「米ツアーのキャメロン・チャンプ選手から、我が大学のアスリート学生、男女各1名に奨学金を授けるための4万ドルの寄付をいただきました」
チャンプは25歳の米国人。2018年から米ツアーで戦い、すでに2勝を挙げている注目の若手選手だ。
彼の祖父マックは1940~50年代にテキサス州内のゴルフ場でキャディとして働いていたが、黒人ゆえに差別的な扱いを受け、その場でゴルフクラブを振ることを、ただの一度も許されなかったそうだ。
やがてマックは米空軍に入り、60年代は欧州に駐留。そこで初めてゴルフを楽しむことを知り、欧州の白人女性と結婚後、米国へ帰国。生まれてきた息子は野球を選んだが、孫のチャンプは祖父マックの手ほどきでゴルフを覚え、米ツアー選手になった。
かつて激しい人種差別を受けた祖父の苦労や苦悩を知っているチャンプは、だからこそ黒人の学生たちにもっとゴルフを知ってもらい、腕を磨いてもらいたい一心で、即座に寄付を決意したという。
「黒人ゴルファーの草分けとなったエルダーのように、僕もこのゴルフ界で頑張りたい。そして、オーガスタ・ナショナルのように、僕も、今だからこそ、やるべきことをやりたい」
黒人やマイノリティの人々の間でゴルフが普及することを願うオーガスタ・ナショナルやチャンプの想い、彼らのアクションは、「天の恵み」となって、いつかきっと大きな実を結ぶのではないだろうか。
そうやって「ゴルフ」のいろいろな力が、差別のない平等な社会、平和な世界を築くためのチカラになっていってくれたら、これほど嬉しいことはない。