民主党勝利「陰の功労者」ステイシー・エイブラムスがすくい上げた「80万人の声」
1月5日の夜は、ほとんど寝られなかった。ジョージア州が選出する上院議員2名の決選投票の開票速報を追うため、テレビ・新聞、友人たちからのテキスト、Twitterなどに釘付けになっていたからだ。
この2議席を共和党、民主党のどちらが取るかで上院(定数100)の支配政党が決まるとあって、多くの人が注目していた。ジョージアという南部の一州がこれほどまでに全米の、世界からの熱い注目を集めたことは、いまだかつてなかったのではないだろうか。
黒人抑圧の象徴たる地でつくられた歴史
事前の予想では、共和党と民主党が1議席ずつ取るのではないかという説が強かった。つまり、49対51で、共和党が上院支配を維持するというシナリオだ。
しかしいざ開票が始まると、民主党の2人の候補は予想以上に好調に票を伸ばし、いずれのレースも追いつき追い越せの大接戦になった。開票が進むにつれ、事前の見通し以上に黒人投票率が高かったこともわかってきた。よって、5日は予想以上に長い夜になった。
最終的には、終盤に開票されたアトランタおよびその近郊の民主党支持層の票が2人の民主党候補を強く押し上げ、勝たせることになった。ジョージア州から民主党の上院議員が選出されたのは、1996年以来はじめてのことだ。
上院では、50対50となれば、議長を務める副大統領が1票を投じることができる。つまり、実質的には50対51で民主党が多数派となり、2011年以来初めて、ホワイトハウスと上下院をすべて民主党が主導する「トリプルブルー政権」となった。
当選した2人はいずれも新人。牧師のラファエル・ワーノックは、ジョージア州から選出された史上初の黒人上院議員となる。元ジャーナリストのジョン・オソフは、33歳のミレニアル世代議員(ジョー・バイデンが1973年に30歳で就任して以来、最も若い上院議員となる)で、こちらもジョージアから選出される史上初のユダヤ系上院議員だ。
ジョージア州は、かつては奴隷解放に反対した南部連合のベースだった。その黒人抑圧の象徴たる地で、歴史がつくられた。ワーノックの勤める教会が、かつてマーティン・ルーサー・キングJr. が牧師を務めていた教会であるということも、偶然とはいえ、巡り合わせの不思議を感じる話だった。
ステイシー・エイブラムスの貢献
深夜、日付が6日に変わり、大手メディアがワーノックとオソフの勝利を予想し始めると、SNSやメディアの話題の中心は、ステイシー・エイブラムスにシフトした。
Twitterでは、#Abramist (エイブラムスの崇拝者)というハッシュタグがトレンドになり、タイムラインにも「I am #Abramist!」などという書き込みが続々と上がってきた。
彼女は、元ジョージア州議会議員、弁護士、起業家、非営利団体経営者、コンサルタント、小説家など複数の顔を持つ、1973年生まれの47歳。2018年のジョージア州知事選に立候補して注目を集め、2019年にドナルド・トランプの一般教書演説への反論演説を行い、「民主党の期待の星」として認識されるようになった。バイデンの副大統領候補として最後まで名前が残った1人でもある。
11月の選挙およびこのたびのジョージア決戦投票を機に「陰の功労者」として爆発的に人気が高まり、今や民主党のスーパースターであると言って良い。
大統領選では、2016年に共和党が勝った州のうち、アリゾナ、ウィスコンシン、ミシガン、ペンシルベニア、そしてジョージアを民主党が奪還した。中でも、伝統的に共和党が強いアリゾナとジョージアの結果は驚きをもって捉えられた。
アリゾナ州は、1996年にビル・クリントンを選んだのを最後に、一貫して共和党の大統領候補を支持し続けてきたし、民主党がジョージア州を勝ち取ったのは、1992年にやはりビル・クリントンが勝って以来だ(その前は、1980年のジミー・カーター)。
今回、バイデンはジョージアで49.5%の票を得た。トランプは49.3%で、得票数の差は1万2000票という接戦だったとはいえ、2008年のバラク・オバマですらジョージア州で47%しか取れておらず、2012年のオバマ、2016年のヒラリー・クリントンに至っては45%の得票に留まっていたことを考えると、このたび民主党は大健闘したと言えるだろう。
エイブラムスは、2018年から2020年までの2年間で、民主党のためにおよそ1億ドル、2020年の11月と12月の2カ月間だけでも、6200万ドルの政治資金を集めたと報じられている。
それだけでも大変な功績だが、彼女の本当の貢献は別にある。
アメリカでは、有権者というだけでは投票できず、自ら地元の選挙管理委員会に登録する必要がある。しかし、この手続きをしておらず、最初から投票することを諦めている人が、特に有色人種の中に膨大な数いる。
エイブラムスはそのことに注目し、「フェア・ファイト・アクション」と呼ばれる団体を設立。有権者たちに自由で公正な選挙の大事さを説き、有権者登録、そして投票に行くことを促してきた。
その結果、80万もの人々が新規登録を行い、票を投じた。このたびのジョージアでの大接戦ぶりから考えるに、これらの票がなかったら、バイデンも、ウォーノックもオソフも勝利を収められたかわからない。
有権者登録に力を注ぐ理由
エイブラムスは、なぜ、有色人種の有権者登録にこれほど力を注いだのか。
ここで、彼女の経歴を紹介しよう。
エイブラムスはミシシッピー州で育ち、15歳で家族と共にジョージア州アトランタに引っ越した。彼女の両親はいずれも、家族で初めて高校・大学を卒業したという人たちで、母親(図書館の司書)に至っては修士号まで得ている。両親ともに人生の後半は聖職者の道を選び、アトランタのエモリー大学で学んだ後、牧師となった。
6人の子供を抱える一家は貧しく、水道や電気をしばしば止められるほどだったらしいが、両親は常に教育、信仰、政治参加の大事さを子供たちに説き、幼い頃からコミュニティでのボランティアに参加させ、選挙のたび投票所に家族全員で出かけていたという。
エイブラムスは、HBCU(Historically black colleges and universities:歴史的黒人大学)として知られるスペルマン・カレッジに進学する。1993年、19歳の時には、キング牧師の「ワシントン大行進」30周年記念イベントで、キング牧師が「I have a dream」の演説をしたまさにその場所から、若い世代の代表としてスピーチをした。本人はあまりにも緊張していたために記憶がふっ飛んでいると言っているが、とてもしっかりした、心を揺さぶる演説ぶりだ。
大学を優秀な成績で卒業した後、テキサス大学オースティン校でMPA(行政経営学修士)、イエール大学法律大学院でJD(法務博士)を取得。2007年にジョージア州議会の下院議員に当選し、2011年から2017年までは州議会下院民主党のリーダー(Minority Leader)を務めた。
そして2018年、彼女はジョージア州知事に立候補し、これによって、「主要政党から知事候補に選ばれた米国史上初の黒人女性」として注目を集めることになった。
彼女が有権者登録を促す運動を始めた理由は、まさにこの2018年の知事選にある。
抹消された有権者登録
エイブラムスと州知事選を争った共和党の候補者は、ジョージア州の州務長官だったブライアン・ケンプだ。
州務長官であるケンプは、州の選挙を監督する立場にあったわけだが、その職を退くことなく、知事候補として出馬した。つまり、自分が出るレースのレフリーを同時に務めるということだ。この明らかな利益相反は、今日に至るまで批判されている。
結果は、5万4000票の僅差でエイブラムスの負けだった。
エイブラムスは、その結果を受け、
「ケンプは次の州知事になります。でも、このスピーチは私の敗北宣言ではありません。なぜなら、敗北を認めるということは、この選挙が正当で公平なものだったという前提があってこそだからです」
と述べ、さらに、ケンプ陣営が多くの住民の有権者登録を抹消したと主張した。
のちにエイブラムス陣営は訴訟を起こし、様々なデータが明らかになった。
ケンプは州務長官としての6年間(2012年から2018年)で、「投票権を行使していないから」「もうこの住所に住んでいないようだから」といった理由から、140万人以上の州民の有権者登録を無効にしていた。2017年だけでも67万人近くが有権者名簿から削除されている。しかも、投票権を取り消された人の70%が黒人であることも後に明らかになった(ジョージア州の人口のうち、黒人は約32%)。
選挙1カ月前の2018年10月には、5万3000もの有権者登録の申請書が放置されていたことも判明した。これらもまた、70%以上が有色人種のものだったと指摘されている。
恥ずべき投票抑圧の歴史
このような投票抑圧(Voter Suppression)は、これまでもアメリカで広く行われてきたお馴染みの話である。この恥ずべき歴史と、それに打ち勝つためにエイブラムスや彼女の支持者たちがどのような努力をしてきたかということは、2020年に公開されたドキュメンタリー映画『All In: The fight for democracy(邦題:すべてをかけて:民主主義を守る戦い)』に詳しく描かれている。日本でも観られるので、是非観て欲しい。
19世紀後半の奴隷解放宣言とそれに基づく合衆国憲法修正13条、14条、15条によって黒人が「市民」となった後も、黒人に対する差別は様々な形で続いたが、1950年代後半から始まった公民権運動によって、1965年には投票権法が成立、南部諸州で続いていた投票妨害もやっと無効化された。
それでも共和党は、多様化するアメリカの人口構成の動態を鑑みて、自分たちが支配を続けるためには、黒人はじめ有色人種の投票を妨害し続けなければならないということを知っており、今日に至るまであの手この手で投票妨害を続けてきた。
よく知られている手法は以下の通りだ。
・ゲリマンダリング(選挙区の恣意的な書き換え)
・投票者に対する威嚇
・有権者名簿の削除
・機械録音を使った脅迫電話
・受刑者や前科をもつ者からの投票権剥奪
・投票所の統廃合(有色人種や低所得者層が住む地域の投票所を減らし、投票に行きづらくする)
・州が定めた身分証明書を提示しないと投票できないとする規則(運転免許を持たない人々、住所の定まらない低所得者などが投票しにくくなる)
これらの投票妨害をやりやすくしてしまったのが、2013年の連邦最高裁における「シェルビー郡対ホルダー判決」だ。
投票権法の中にある、
「ヴァージニア、サウスカロライナ、ジョージア、アラバマ、ミシシッピー、ルイジアナ、テキサス、アリゾナ、アラスカの9つの州は、連邦政府の許可なしには、選挙に関わる法律を制定することができない」
という条項について、最高裁が違憲と判断したのだ。
これ以来、各州は投票を制限する規則を格段に導入しやすくなり、投票妨害を復活させる州法が(上記9州以外でも)続々と導入されている。
例えば、「Voter ID Law」(州が定める身分証明書をもっていないと投票できないとする法)は、2013年時点では25州で導入されていた法律だが、2020年には35州に増えている。
先述の映画『All In』によれば、約2100万人の有権者(米国有権者の約1割)は、Voter ID Law に定められた身分証明書をもっていないという。
「All in」に込められた意味
この映画のタイトルには、邦題の「すべてをかけて」という意味と、もう1つ「すべての人を巻き込む」という意味が込められていると思う。
映画を見ながら思い出したのは、オバマが大統領選キャンペーンの時にスタッフのスローガンにしていたと言われる「Respect. Empower. Include. Win」(相手に対する敬意を持て。1人1人がもつパワーに気付かせよ。巻き込め。そして勝つ)という言葉だ。
「政治なんて自分のような人間には関係ない」
「自分1人が投票に行こうが行くまいが、どうせ社会は変わらない」
という無力感、シニシズムに陥っている人たちに、
「いや、あなたの声が大事なんです」
「あなたの1票が変化をもたらすんです」
「私と一緒に闘ってほしい」
と伝え、
「社会は変えられる」
と感じさせること。
エイブラムスがやろうとしているのもまさにそれだ。
これまで透明人間だった、声を持たなかった人たちに、彼らが持つパワーに気づかせ、仲間として巻き込むこと。彼女は、そうすれば社会は変えられる(それをしない限りは変えられない)と信じてこれまで地道に活動を続け、このたび、その成果を証明して見せた。
この原稿を書くため、この映画を再び観てみた。つくづく感じたのは、1票を投じる権利をどれだけ多くの人が渇望し、神聖なものとして扱ってきたかということ、そのためにこれまでどれだけ多くのアメリカ人が命がけで闘ってきたかということだ。
映画の中には、投票権を剥奪されてしまった元受刑者が、再び投票できるようになり、涙を流している様子も映っている。11月の選挙の時、投票所に長蛇の列を作り、1票を投じるため、寒い中で何時間も並んで待っていた人々の姿も思い出した。
民主主義とは「行為」のこと
カマラ・ハリスは、11月7日の勝利演説の中で、こう言った。
「Democracy is not a state. It is an act」
(民主主義とは、ある「状態」のことを指すのではない。「行為」のことだ)
民主主義は、予め保証されたもの、そこにあるのが当たり前のものではなく、絶えず求め続け、勝ち取り続け、努力して守り続けなければ壊れてしまうものなのだ、と。
この有名な言葉は、2020年7月に亡くなったジョージア州選出下院議員、ジョン・ルイスの残したものだ。
1940年、アラバマ州で生まれたルイスは、キング牧師と共に公民権運動で闘った伝説の活動家だ。1965年、黒人の投票権を求める約600人の市民がアラバマ州セルマからモンゴメリーまで歩いた「セルマの行進」を、リードした人物でもある。まだ25歳の青年だった。
この時、警察は無抵抗の黒人たちを棍棒や催涙ガス、鞭などを使って弾圧し、血だらけで倒れるデモ隊の様子が広く報道された。ルイスも頭蓋骨を骨折するという重症を負った。しかし、この「血の日曜日事件」によってアメリカ国民は衝撃を受け、世論が大きく動き、1965年の投票権法成立の後押しになったと評価されている。
2018年、私は、ハーバード大学の卒業式でルイスの演説を聞いた。
彼は、
「60年代には40回ほど逮捕され、1987年に下院議員になってからも5回も逮捕された」
と語り、
「多分生きている間にもう1回くらい逮捕されるだろうと思う」
と言って喝采を浴びた。
亡くなるまでずっと、トランプ大統領の容赦ない批判者であり続けた。
ルイスが、11月の大統領選、ジョージアの上院選挙における民主党の勝利を見届けられないまま亡くなってしまったことは、彼の薫陶を受けたオバマ、ハリス、エイブラムスはじめ多くの民主党関係者たちにとって無念なことだったに違いない。
ジョージア選挙の翌日、オバマは、
「ジョン・ルイスは今、彼の愛したジョージアを見下ろして微笑んでいるに違いない 」
と述べた。
確かにそうだろう。このたびジョージア州で当選したワーノックは、ルイスが亡くなるまで彼の牧師だった。また、ユダヤ系であるオソフは、ルイスの人種差別との闘いにインスパイアされ、16歳の時にルイスに手紙を送り、彼の事務所でインターンをする機会を与えられたという縁がある。
これもまたアメリカ……
しかし、ジョージア選挙の結果に「多様性の勝利」「歴史的選挙」と世界が沸いたのも束の間、たった数時間後には、連邦議会議事堂にトランプ支持者が乱入し、アメリカの人種問題の根の深さを嫌というほど見せつける展開になった。これほどの民主主義への冒涜も珍しいというほどの、アメリカ社会の膿をさらけ出す事件だった。
この事件を受けて、アメリカの報道では「This is not America」という言葉が頻繁に聞かれたが、私は「いや、これもまたアメリカだ」と思った。多様性を善きものとする理想主義もアメリカであり、建国以来ずっと暴力と人種差別の上に成り立っているのもアメリカだからだ。
このたびのエイブラムスらの活躍が示すとおり、ルイスやキング牧師が残したレガシーは次の世代の中で生き続けているとは思う。でも、彼らが1950年代に始めた差別との闘いは、まだ全く終わってはいない。