「内海桂子」長女が語る「最後の掛け合い」 漫才のセリフを振ると返事が

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 いつもは賑わう正月の浅草も、今年は随分と人出が減っていた。浅草の寄席の看板だったこの方も、あの世で寂しく思っているのではなかろうか。昨夏97歳で大往生を遂げた、内海桂子師匠である。

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 芸歴八十余年、最高齢の漫才師にして、Twitterにも挑戦していた桂子師匠が多臓器不全でこの世を去ったのは、昨年8月22日のこと。師匠が最期の時をどう迎えたかは明らかになっていないが、

「私は臨終に間に合わなかったんです」

 と初めて語るのは、夫の成田常也さんである。成田さんは24歳年下で、師匠のマネージャーも務めていた。

「師匠は1月まで舞台をやっていたんですが、誤嚥の症状が出てしまって。近くの病院に行ったら、すぐに入院、点滴となった。で、リハビリをしながら流動食を食べる訓練をしていたんです。回復していきましたが、そしたらコロナが激しくなってしまって」

 見舞いは禁止となり、トレーニングの計画も宙に浮いてしまったという。100歳近い高齢者が身内との接触を断たれれば、衰えは進む一方。そして間の悪いことに、4月には、今度は成田さんが長期入院してしまう。

「ゴルフをしていたら脳出血で倒れてしまいまして。離れた病院に入院し、会うことができなくなった。そこからは電話のやり取りだけになってしまいましてね」

 その夫に代わって、師匠を看取ったのは、彼女の長女(74)であった。

出番だよ!

 桂子師匠は、成田さんの前に事実婚の相手が2人いる。いずれも漫才の相方だが、はじめの夫との間に長男、2番目の夫との間に長女をもうけた。

 その長女が言う。

「最後の数カ月はお見舞いに行っても、私のことすらよくわからない状態が進んでいました。寝ているばっかりで目を覚まさない。話しかけて、ようやく自分の名が言えるくらいでした」

 もともと80歳を越えた辺りから物忘れが酷く、道で孫に会っても気付かないこともあったという桂子師匠。でも舞台に出ると背筋が伸びる。そこはやはり生粋の「芸人」であった。

 そして、病床の日々にも、それを思い起こさせるような出来事があったという。

「6月くらいだったかな。何の気もなしに、寝ている母に漫才の『銘鳥銘木』を振ってみたんです」

「銘鳥銘木」は古くからあるネタで、「銘鳥銘木 木にトリとめた 何の木にとめた?」「ホウキにとめた!」「何のトリとめた?」「チリトリとめた」など、木や鳥にかけて、言葉遊びを楽しむもの。桂子師匠も得意で、晩年も舞台で披露していた。

「“何のトリとめた”と母に話しかけたら、“何の木でもいいよ”って。もちろん全体をできたわけじゃないですけど、掛け合い自体はわかっていましたね。昔に覚えたものを忘れてなかったのか、最近までやっていたから覚えていたのか」

 亡くなったその日も、長女はお見舞いに行っていた。

「“もう危ない”と言われて。孫やひ孫も連れて“おばあちゃんありがとう”と言いました。夜、一度帰宅したらまた呼ばれて、駆け付けると、心臓が止まっていて。でも、まだ身体は温かかったんです」

 葬儀は密葬に。出棺の際には「お桂ちゃん、出番だよ!」と声をかけたという。

 退院した成田さんも葬儀には駆け付けた。

「9月の私の誕生日まではもってほしいと思っていましたが。でも、よく頑張りましたよ」(成田さん)

 今頃は、あの世の初席を沸かせているだろうか。

週刊新潮 2021年1月14日号掲載

ワイド特集「逆風が強く吹いている」より

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