慰安婦訴訟「日本賠償判決」日韓関係を破壊した韓国「三権分立」の歪み

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 私が携わる『NHK BS1』の『国際報道2021』という報道番組では、日々、世界の様々な動きを伝え続けているが、しばしば、自分の立場を一貫させるのが難しい状況に見舞われてしまう。

 たとえば、三権分立。

 立法、行政、司法の三権が互いをチェックすることで権力の集中を防ぐ、民主主義の基本的な枠組みだ。昨年(2020年)から香港情勢を伝える中で、中国共産党が「香港国家安全維持法」の施行を武器に「一国二制度」を骨抜きにし、香港の三権分立までも公然と否定していくのを、私たちは、繰り返し批判的に報じた。そこには、三権分立は守り抜くべき「至高」という思いが強く働いている。

 翻って、韓国。

 韓国の裁判所が、日韓両国が積み重ねてきた和解と協力の歴史を実にあっさりと全面否定する判決を相次いで出していくのを伝え続けるにつれ、無力感にさいなまれるとともに、ひとつの疑問が頭をもたげてしまう。三権分立は「至高」ではないのかもしれない、と。

徴用工判決と同じロジック

 1月8日、ソウル中央地方法院(裁判所)は、元慰安婦の女性12人が精神的な苦痛を受けたとして日本政府に損害賠償を求めた訴訟で、原告全面勝訴の判決を言い渡した。日本政府は「国際法上も、常識的にも、あり得ない判決だ」と猛反発。韓国政府の側も、空気は重い。韓国外交部(外務省)は、「判決が外交関係に与える影響を綿密に検討し、未来志向的な協力を続けられるよう努力する」と歯切れの悪いコメントしか出せず、大統領府は、判決当日は沈黙を貫いた。徴用工訴訟をめぐって急速に悪化した日韓関係の改善に向けて、ようやく、政府高官らを相次いで日本に派遣するなどした矢先だっただけに、文在寅政権としても予想外の判決で頭を抱えていることが窺える。

 日本では、往々にして「韓国は政権と司法は一体化している」とみなし、徴用工訴訟での判決などに関して「文大統領が指示したに違いない」と憤る人が少なくないが、実情は異なる。

「判事たちは、自分たちが大韓民国で最も優秀だと信じて疑わないのです」

 と、ある韓国外務省高官が私にため息をつきながら語ったのを思い出す。裁判所が政府の方針と乖離した判決を出すことは珍しくなく、そのこと自体は、三権分立が確立していることの証左だ。

 今回の訴訟で、日本政府は「主権免除」という国際法上の原則に照らして訴えは却下されるべきだとして、一度も出廷しなかった。「主権免除」とは、主権国家は他の主権国家の裁判権に服さないことを意味する。

 一方、ソウル中央地裁の判事は、「強行規範」というカードを切ることで「主権免除」を否定し、例外的に韓国側に裁判権はあるとした。

「強行規範」とは、平たく言えば、国際社会全体として絶対に破ることが許されないルールを、ある国家が破れば、例外的な措置が認められるという国際法上の概念だ。訴訟に限らず、たとえば2国間で締結された条約でも、「強行規範」が適用されれば片方の国が一方的に破棄しても許される。各国が絶対に破ってはいけないルールとしては、ジェノサイド(集団虐殺)、奴隷制度、人道に対する罪などが挙げられるが、厳密に定義されているわけではない。

 ソウル中央地裁は、慰安婦制度は「日本帝国によって計画的、組織的、広範囲に行われた反人道的犯罪行為であり、国際強行規範に違反した」と断じた。そして、この独自の見解は、1910年の日本による韓国併合は「不法」という大前提の上に構築された。

 こうした、(1)日本の併合・統治は不法な占領、(2)ゆえに日本の行いは反人道的な不法行為、という2段階のロジックは、徴用工訴訟の韓国大法院(最高裁)判決と全く同じだ。

 難航に難航を重ねた末に、韓国併合が合法だったか不法だったかを曖昧にすることで日韓は1965年に国交正常化を成し遂げ、それを基にした日本からの経済協力が「漢江の奇跡」と呼ばれた韓国の急成長の土台となった。そして国力で一気に北朝鮮を逆転し、今の先進国・韓国が出来上がっていた。

 経済協力の規模が不十分だったという批判は当時も現在もあるが、日本の少なからぬ経済人たちは、贖罪意識を持ちながら韓国の近代化に深く関わっていった。

 慰安婦問題にしても、「アジア女性基金」や2015年の日韓合意に基づく「和解・癒やし財団」の設立の根底にも、やはり日本側の贖罪意識があったのは間違いない。

 日本国内でも忘れられがちだが、韓国併合から100年となった2010年、当時の民主党政権・菅直人首相は、

「植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、ここに改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明いたします」

 とする談話を出している。

 徴用工訴訟と慰安婦訴訟における韓国司法の判断は、そうした日韓の協力の歴史や日本側の思いを丸ごと消し去るほどの破壊力がある。

「なんでもあり」という事態も

 今後、どういうシナリオが考えられるのか。

 日本政府は、そもそも韓国の裁判権に服さない「主権免除」の立場から、控訴はしない方針だ。そうなると今回の判決は確定し、ひとつの判例として残る。日本政府が賠償に応じなければ、原告側は日本政府の資産を差し押さえることを求め、理屈の上では、ソウルの日本大使館が差し押さえの対象になる可能性すらある。

 もっとも、これは在外公館の保護を定めたウィーン条約に反するので実際は無理だという指摘もある。大使館差し押さえができなければ、原告側、そして一部の韓国世論は、半永久的に日本政府への抗議を続けるであろう。

 日本の統治によって「精神的な苦痛を受けた」として、日本政府を相手取った訴訟が次々に起こされる可能性も低くない。極端な話かもしれないが、「学びたくもない日本語を学ばされた」として損害賠償を求める、などというケースもあり得る。韓国司法が「日本による併合」は「不法」という判断を定着させつつある以上、「なんでもあり」という想像したくない事態も頭をもたげる。

 やはり、今後の進展を大きく左右するのは文在寅大統領であろう。

 韓国では政権と司法が一体化しているわけではない、と前述したが、司法が政権の姿勢から影響を受けているのも否めない。文大統領は慰安婦問題での2015年の日韓合意を事実上反故にし、徴用工訴訟の判決で、「政府は司法判断に介入できない」という一点張りで解決に向けて遅々として動かなかった。こうした言動が、判事に対して、「主権免除」を否定しても構わないという「メッセージ」になってしまったことは容易に想像できる。

民主主義にとっての危険なシグナル

 三権分立が民主主義の土台となり得るには、三権とも一定の常識から逸脱しないことが必須のように思える。

 アメリカでは、ドナルド・トランプが大統領という行政権の長として非常識な言動を繰り返し、荒唐無稽な陰謀論を拡散させ続けた。その4年間の任期の「集大成」あるいは「なれの果て」として、彼の言動に煽られた「信者」とも言える支持者たちは連邦議会議事堂の窓ガラスを金属バットなどで叩き割って突入し、警察との衝突で死傷者を出しながら議会を占拠してみせた。アメリカの民主主義は、墜ちるところまで墜ちた。

 同様に、と言えば韓国の人々は反発するかもしれないが、韓国の司法権、すなわち裁判所は、「被告席に座るのが日本側なら、何をしても構わない」とでも言わんばかりに、国際的なコンセンサスのない独自の「強行規範」を持ち出して、国際法の原則や国際的な常識を次々と否定する判決を出している。今回の慰安婦訴訟の判決によって、日韓関係も、墜ちるところまで墜ちたという思いを拭うことができない。

 問題は、日韓という2国関係にとどまらない。

 韓国司法が一定の常識から逸脱し続けるのなら、三権分立は「至高」どころか「リスク」であるというシグナルを世界に発信する結果にすらなり得るように思えてならないのだ。誤解を恐れずに言うならば、中国のように権力がひとつ(中国共産党)に集中し、司法に独立性がない強権的な国家の方が「まだ分かりやすい」のではないか、という疑問まで提起しかねない。

 このような危険なシグナルが拡散する前に、文政権は、重そうに見せている腰を上げ、日韓関係の危機回避に向けて本格的に動く必要がある。徴用工訴訟のときのように、三権分立の原則から司法判断に介入できないと言い続けては、事態が悪化するだけだ。

 そもそも文政権は、自分たちのスキャンダルに斬り込んできた検事総長を更迭しようと血眼になったではないか。検察の独立性などお構いなしに。そこには、三権分立を尊重する姿勢が微塵もなかった。

 であるなら、日本が絡む訴訟での司法の勇み足を是正するために、政権として動けない理由もないであろう。

 まずは、文大統領が、「日本との法的関係の安定は韓国の国益に直結している」と内外に繰り返し表明し、それを判事たちへの「メッセージ」とするだけでも大きな意味がある。そして、韓国政府が原告たちと話し合って日本の企業・国家の資産差し押さえを思いとどまらせ、日本政府がICJ(国際司法裁判所)に提訴すれば直ちに応諾するなど、打てる手はいくつもある。

 文大統領には、三権分立はリスクなどではないと世界に力強く示してほしい。そう切に願う。

池畑修平
『NHK』報道局記者主幹、BS1『国際報道2021』キャスター。1969年生まれ。1992年東京外国語大学卒業、『NHK』入局。1998年報道局国際部、韓国・延世大学に1年間派遣。ジュネーブ支局で国連機関や欧州・中東情勢を、中国総局(北京)では北朝鮮や中国の動向を取材。2015年~2018年ソウル支局長、南北関係や日韓関係、朴槿恵大統領の弾劾から文在寅政権の誕生、史上初の米朝首脳会談などを取材。著書に『韓国 内なる分断』(平凡社新書、2019年)

Foresight 2021年1月12日掲載

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