「大黒摩季」自殺すら考えた「老母の介護」を回顧
“死んでしまいたい”と漏らす母
「世話好きなのに人に面倒を見てもらわないと生きてゆけない事実がショックだったのでしょう。双極性障害になってしまったのです。うまく食べられないため、体重も38キロに激減。“死んでしまいたい”としょっちゅう漏らしていました」
当初は札幌に住む弟夫婦が面倒を見ていたが、10年前に大黒が引き取ることに。
「弟夫婦の負担が限界に来ていたこともあります。そこへ私が以前から患っていた子宮疾患が悪化してしまい、摘出することになった。しばらく休養しなくてはならず、思い切って東京で母の面倒を見ることにしたんです」
美也子さんには介護施設に入ってもらった。が、知り合いのいない場所で逆に心を閉ざしてしまい、大黒に感情を爆発させることもしばしばだった。車椅子を押して運河べりを歩いているときなど、「このまま一緒に落ちてしまおう」との思いが頭をよぎったこともあったと大黒は振り返る。転機が訪れたのは7年ほど前。
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