柔道家「ヘーシンク」 日本を愛し、日本に敵視された悲哀(小林信也)
日本への恩返しが…
ヘーシンクが初めて来日したのは56年。東京で開かれる第1回世界選手権に出場するためだ。準決勝で吉松吉彦に47秒で投げ飛ばされ敗退。それを機に、ヘーシンクは日本への憧憬と思慕を深める。道上に徹底して教え込まれる“本物の柔道”を体得するため、日本の文化・習慣、日本人の心、すべてを学び、身につけたいと願った。以後、合宿のためしばしば日本の道場で過ごし、ヘーシンクは日本人になろうと努める。
ヘーシンクが東京五輪の決勝で神永を押さえ込んだとき、日本中の誰もが「日本が負けた」と思った。畳に顔を伏せ、苦悶する日本の監督やコーチたちを見て、ヘーシンクは悲嘆にくれた。
「ヘーシンクの勝利」は、柔道の国際化の証だ。ヘーシンクは自分の勝利が日本柔道への「恩返し」と信じて闘った。ところが、日本では歓迎も賞賛も受けず、むしろ敵視された。
私はヘーシンクの無念を思い、胸が潰れそうになる。果たして日本は、それから56年、「真の国際化」「平和の祭典の意義」に目覚めただろうか?
日本オリンピック委員会(JOC)の山下泰裕会長は東京2020の目標を「金メダル30個」と設定している。開催国として、「世界に平和と友好の輪を広げる」と言いながらその実、自分たちの勝利ばかりを声高に叫んでいる。へーシンクに清々しい拍手を送れなかった日本が挽回の機会を与えられている。大切なのは自国の金メダルの数だけではない。
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