ノブコブ徳井が「EXIT」兼近に「圧倒的な敗北感」を覚えた日 チャラ男が真摯に語った虐待問題

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「自分の子供を愛せない親もいる」

 僕もベビーシッターと介護の仕事、どちらをやるかと問われれば迷いなくベビーシッターの方を選ぶ。どちらも同じく大変な仕事ならば、「子供たちの未来のため」に汗や涙を流したい、とそんなふうに思っていたからだ。

「だ、だったらさ、最近の虐待のニュースとか、見る度につらくなるだろ」

 これは世間の大半の人も同じように心を痛めていることだろう。その赤ちゃん僕にちょうだいよ、僕が愛情深く育てるよ―そんなこともよく思う。けれど兼近は、さらに上の考えを持っていた。

「もちろん、虐待は悲しいです。でも僕が思うのは、自分の子供を愛せない、という親も少なからずいる、ということを社会が認めること。そんな『親』のことを、なんとかしていかなきゃいけない、っていうことです」

チャラ男に感じた圧倒的な敗北感

 ガツン、とレンガで後頭部を叩かれた気がした。後ろの壁の香盤表を見て、自分の出番がそろそろだということにも気が付いた。

「子供が可哀想なのはもちろんですけど、子を愛せない親っていうのも確実にいて、僕はそういう現場を何度も見てきました。その親を非難するのは簡単だけど、そういう人間がある一定の数、必ずいるんだからその人たちをどうにかする、どうにかしていくんだ、っていう世の中にならないと、虐待は永遠になくなりませんよ」

 恐れ入った。全くその通りだと思う。けれど、10歳以上も年下の彼と話すまで、そんな当たり前のことにも僕は気が付けていなかった。

 子供が虐待されるニュースは悲しい。信じられない、涙が出る、許せない。そんなことをニュースのコメンテーターはよく口にする。ではどうすればいいのか? その子を保護する、周りが目を光らす、学校が、友達が守ってあげる? 

 違う。それは応急処置であって、根本的な対処にはなっていない。これからも、きっと今も、虐待を受けている子供はいる。世界でみれば何百万人もいるだろう。

 その子たちを全員助けるのは不可能だ。悲しいことだが仕方ない。理想を語るのは正義だが、それじゃ人は救えない。子供がいるなら確実にその親がいる。その親を、これからは何とかしなければならない。それが解決への最善策だろう。それは子供を産む前なのかもしれない。もしかしたらそれよりも、もっと前の話なのかもしれない。けれど、変えていかなきゃいけない。

 悲しい虐待のニュースをなくしたいなら、根っこにあるそういう現実を僕らは話していかなきゃならない。それを、この「ネオチャラ男」と呼ばれる若手芸人はすでに知っていた。現場を見て、気付いていた。

 兼近にはバレなかったろうか、僕の圧倒的な敗北感を。丸めた背中のまま、僕は出番のため兼近と別れ、舞台に出て行った。

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