女手一つで「瑛人」を育てた母が語る息子の優しさ 「疲れた様子を見せるとオムライスを作ってくれて」
「香水」のヒットでNHK紅白歌合戦出場をかなえた瑛人(えいと)(23)。普通の若者から一躍スターダムへと駆け上がった彼は、母親(50)の細腕一つで育てられた。
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3人兄弟の末っ子の瑛人が小学校低学年のときに両親は離婚。以来、母は、女手一つで息子たちを育て上げた。神奈川県横浜市内のスナックで働く彼女に聞くと、
「離婚後に介護関連の仕事に就き、7年ほど前からスナックでも働くようになりました。介護は2年前に辞め、いまに至っています」
紅白の半月ほど前には、
「瑛人から“栄養のあるものを食べたい”と連絡があったので、ポトフと、大根と鶏肉の煮物を作っていき、一緒に食べました。“いまだに紅白出場が信じられない”と言っていましたね」
息子が紅白に出ても暮らしぶりはさほど変わらないと言うものの、母の言葉の端々には歓びが滲む。
「たくさん嬉しい経験をさせてもらっています。野外フェスに瑛人が出演するというので、行ったことのなかった大阪に行かせてもらえました。私が両親と暮らしている家のエアコンも瑛人が買い替えてくれたし、NHKの番組では大泉洋さんとご一緒させていただきました。買おうかどうか1年ぐらい悩んでいた高級ブランドのバッグも、瑛人がプレゼントしてくれたんです」
ブランド名は秘密とのことだが、「ドルチェ&ガッバーナ」ではなさそうな雰囲気。ともあれ、瑛人が母思いなのはまちがいない。
4時起きで弁当作り
「私が働くのを見ていたからか、瑛人はよく手伝いをしてくれたんですよね」
と、母が目を細める。
「野球をやっていた兄2人の影響で、瑛人も小学生から中学生まで野球チームに入っていました。このチームで人間関係に恵まれたんです。もともと陽気な性格で2人の兄にもかわいがられていましたけれど、仲間はもちろん、監督やコーチ、父兄の方々には本当によくしてもらいました。みなさんに育てられたと言ってもいいぐらいです」
このチームが父親代わりを果たしたのかもしれないが、実際、家庭では、
「食べ盛りの男の子3人なので、1回の食事で炊くお米は6合です。この米研ぎを、瑛人は小さいころから手伝ってくれました。瑛人が中学に上がってから介護の夜勤もはじめたのですが、中学から高校までは弁当だったので、朝4時起きで弁当作り。夜勤の日は前日の夕方までに準備します。私が少し疲れた様子を見せると、瑛人がおかずを作ってくれるんです。中学生なのに、市販のトマトソースではなく、お手製のソースでオムライスを作っていました。餃子のたねを包むのも、率先してやってくれて」
瑛人の6歳年上の兄の時代から数えると、弁当作りは12年間続いたという。
「それを苦に感じたことはないんです。野球の試合のときは、夜勤明けでも必ず応援しに行きましたね」
「介護」と「スナック」で紅白歌手を育てた、シングルマザーの細腕一代記である。