8時の男「中村梅之助」が「遠山の金さん」で見せたスタッフへの気遣い
ペリー荻野が出会った時代劇の100人。第5回は、中村梅之助(1930~2016年)だ。
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テレビ時代劇の「遠山の金さん」といえば、真っ先に「中村梅之助」の顔が思い浮かぶ人も多いと思う。
昭和5(1930)年、前進座の創設者のひとりである三代目中村翫右衛門の長男として生まれた中村梅之助は、8歳で初舞台を踏む。稽古場と住居が一体となった前進座の中で暮らしながら芸を磨き、後年は劇団の代表を務めた。
「遠山の金さん捕物帳」(NETテレビ[現:テレビ朝日])の主役に抜擢され、一気にお茶の間の人気者となったのは昭和45(1970)年。北町奉行・遠山金四郎が、遊び人の金さんとなって事件を探索、お白州では悪人に見せた背中の桜吹雪を動かぬ証拠として、きっちりお裁きを言い渡す。多くの舞台、映画で親しまれた勧善懲悪時代劇の代表的なヒーローだが、梅之助の金さんは居酒屋でくいっと一杯やりながら、町の人々の言葉に耳を傾ける庶民派で、おきゃんなお光(水原麻記)、どこか抜けた十手持ち文三(柳沢真一)とのやりとりも面白かった。
私が初めてご本人にインタビューしたのは平成10(1998年年、NHK時代劇「物書同心いねむり紋蔵」で町奉行所の物書き役・藤木紋蔵(舘ひろし)の上役で与力の蜂屋鉄五郎役を演じていたころだ。「遠山の金さん」については、歴代の金さんの中でも「僕が一番の丸顔だね」と笑っていたが、その親しみやすい丸顔が、金さんをテレビの人気者にしたのだ。
テレビ出演を薦めてくれたのは、父の翫右衛門だった。
「金さんは今でいえば、警視総監くらいの人で、その人が町に出て事件を調べて、見事に悪をやっつける。誰もがスカッとする話です。僕は舞台俳優だから、テレビ出演に慣れていないころ、まったくカメラを意識しなくて、共演者と目線が合わずに困りました。それと舞台では時間をかけてセリフを練り上げていくんですが、テレビの撮影は2話3話、同時進行が当たり前で、特にお白州場面の〇〇町の〇〇兵衛が、△△でこういうことをしたと、お調べのセリフ覚えが大変でした。でも、テレビに出たことで、僕の可能性はとても広がりましたね。毎回いろいろなゲストとお芝居することも刺激的でした」
特に印象に残るのは、昔の友が悪に走ったことを知り、苦悩する金さんが描かれた「地獄から来た女」の回で、共演した露口茂の抑制のきいた芝居を称えていた。
金さんは後に高橋英樹、松方弘樹らがシリーズを引き継ぎ、延べ37年間、800話以上放送された。歴代すべて違う桜吹雪の彫り物の絵柄は描くのが大変で、お白州のシーンがある日は4時間近くかけて専門スタッフに描いてもらう。着物ですれて絵柄が消えないように気を使うスタッフの技に感心し、自身は桜が映えることを考え極力日焼けを避けていたという。改めて見比べてみると、梅之助金さんは、お白洲で片肌脱ぐスピードが特に速い。一瞬のうちに奉行から金さんに口調が変わり、「おう、この桜吹雪がすべてお見通しよ!」とキレのいいセリフを放つのが特長だった。
金さん終了後、もうひとつの当たり役となったのが、「伝七捕物帳」(73〜77年・日本テレビ)だ。捕物名人の証である紫房の十手を持つ黒門町の伝七親分の活躍を描いたこのシリーズでは、事件解決後、子分たちと「ヨヨヨイ、ヨヨヨイ」「めでてえな」と指締めする場面も名物で、私もこどものころ、よくマネした。伝七は、独特の様式がある金さんより、肩の力が抜けた感じで笑顔も多い。なお、「伝七」シリーズは平成29(2017)年に息子の中村梅雀がNHK-BS時代劇枠で継承。息子の主演を喜んだ梅之助は当時、愛用した十手を譲った。
金さん、伝七とヒットを出し、各局が「梅之助争奪に動いた」と言われるほどの人気を獲得。続く「達磨大助事件帳」(77年・テレビ朝日)は、許せぬ悪を抹殺するのとは反対に無実の人々を救うという新設定で、家では18歳(!)の新妻・雪絵(岡まゆみ)にメロメロというユニークな主人公になった。梅之助の歌う「達磨音頭」や随所に出でくる達磨アニメもかわいく、テレビ作品を大いに楽しんでいるようにも見えた。
大河ドラマ「花神」(NHK)も忘れられない作品のひとつ。驚くのはこの作品の放送が昭和52(1977)年で、「伝七」も放送中だったこと。この年はまさに「梅之助イヤー」だったのだ。
幕末、大坂の緒方洪庵(宇野重吉)の適塾に、後に大村益次郎となる村田蔵六(梅之助)が入塾する。その後、村医となり静かな家庭生活を送っていた蔵六は、宇和島藩に仕官し、やがて官軍総司令官となる。動乱の時代にパッと花を咲かせ、あっという間に非業の死をとげた益次郎に、原作の司馬遼太郎は花神(昔の中国で「花咲か爺さん」の意味)を見たのか。梅之助は肖像画に残る益次郎の超個性的な風貌になるため、大きなおでこと極太眉毛を装着して登場。益次郎そっくりでびっくりしたものだ。思えば、後の「真田太平記」(85年・NHK)で、草刈正雄演じる真田幸村の宿敵・徳川家康を演じたときは老獪なタヌキおやじぶりが見事で、ファンを沸かせた。自らアイデアを出して、外見も内面も役を徹底的に作り込む姿勢は、ずっと変わらなかった。
亡くなる少し前の平成27(2015)年、私も構成に参加していた番組のゲストで出ていただいた。その際、「金さん」当時のスタッフの話を集めたが、出てきたのは「スターらしくないスター」という言葉だった。気さくな町人の金さんは、ご本人の素顔そのもの。主役なのに扮装のまま機材やレフ板を運ぶ手伝いをする。衣装を間違えたスタッフが叱られるのを見て、慰めたりする。劇団で集団生活を送った経験が、時代劇の現場でも活きていたのだろう。
出演した時代劇は800本以上。出演作の放送時間から「8時の男」とも呼ばれた。家族みんなで時代劇を見る楽しみに、大いに貢献した名優である。