「麒麟がくる」戦国武将はそもそもなぜ戦うのか 古市憲寿氏の解説は

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絶対にこの時代には生まれないほうがいい

 新型コロナのせいで放送予定が大幅に変更された大河ドラマ「麒麟がくる」。主役の明智光秀はもちろん、信長、家康といったお馴染みの戦国大名たちの姿に胸躍らせる人は少なくないだろう。戦国時代を扱った小説、ドラマ、マンガは常に高い人気を誇る。

 しかし、そもそも彼らはなぜ戦うのだろう。より多くの富を求めて? 天下を統一して平和な世の中を実現したいから? とにかくバトルが好きだから? 小説やドラマだと、主人公がその大義を語る場面がよく出てくるが、実際はどうなのか。

 歴史の流れを大きくつかむことを心がけて執筆したという『絶対に挫折しない日本史』で、著者の古市憲寿氏(作家・社会学者)は、戦国時代が始まった流れを説明したうえで、絶対にこの時代には生まれないほうがいい、と述べている。戦国ロマンも何もあったものではない解説ぶりは、いかにも古市氏らしいとも言えるだろうか。以下、同書から引用してみよう。

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異常気象が戦乱の世を招いた

 混沌としているが、民衆たちが活力を持ち、様々な文化が花開いた中世。その終わりは、気候変動と共に訪れた。

 14世紀半ばから15世紀初頭は比較的気候が温暖な時代が続いた。ある研究者の推定によると、1280年に595万人だった列島の人口は、1450年には960万人にまで増加したという。縄文時代、古墳時代に次ぐ第三の人口増加期だ【注1】。

「室町最適期」という言葉があるくらい、温暖な気候が社会の発展を促し、列島の人口を増加させた。

 だが15世紀前半には、シュペーラー極小期(きょくしょうき)と呼ばれる太陽活動の低下が始まり、世界的なミニ氷河期に日本も巻き込まれる。

 1420年以降、冷夏・長雨が頻繁に観測され、全国規模の重大な飢饉が相次いで発生するようになった。追い打ちをかけるように、山崩れ、洪水、疫病の流行という地獄のような不幸が重なった年もあった。

 全国で土一揆(つちいっき)(農民らの武装蜂起(ほうき))が頻発し、列島はいよいよ混乱する。

 京都では、1467年から応仁の乱が始まるが【注2】、その前から異常気象や飢饉によって、京の街は大変なことになっていた。

 たとえば1461年の記録によれば、ある僧侶が餓死者を弔うために卒塔婆(そとば)8万4千枚を用意したが2千枚しか余らなかったという。当然、批判の矛先(ほこさき)は室町幕府にも向いた。しかし空気の読めない将軍が、花の御所(ごしょ)を豪華に改築しようとして、天皇からも批判されたという記録が残っている。

 こうして室町幕府は統治能力を完全に失い、戦国の世が始まった。

 戦国時代は、しばしばロマンあふれる時代として描かれる。イケメン大名(だいみょう)たちが、男のロマンをかけて、天下統一を目指すといった具合だ。NHKの大河ドラマでもたびたび舞台に選ばれるし、「信長の野望」や「戦国BASARA」といった大ヒットゲームも多い。

戦国大名の主な仕事は、住民の安全保障

 しかし「戦国時代に生まれたい」という人がいたら、全力で止めにかかりたい。なぜなら、戦国時代は、戦争に加えて飢饉の時代だったから【注3】。

 ある寺社の埋葬記録によると、数十年に一度の大飢饉に加えて、毎年冬から春にかけて死ぬ人が多いというのだ。要は食糧が収穫できない寒い季節を乗り切れずに死んでしまっているのだ。

 戦国時代には、文字通り列島中で断続的に内戦が起こっていた。しかもその期間は約100年以上にも及ぶ。さらに、その戦争がドラマやゲームのように大名と兵士だけのものならいいが、実際には耕地が戦場となり、家屋は放火され、物は略奪された。

 身代金目当ての人の略奪が行われ、奴隷市場に売られることもあった。こうした奴隷狩りの被害は全国の戦場で確認できるという【注4】。

 だから戦国大名の主な仕事は、住民の安全保障だった。食糧を確保し、緊急時には住民を保護できるのがいい大名だ。全くロマンを感じない【注5】。

 もちろん飢饉や戦乱は古代から存在した。実は16世紀には飢饉の頻度が減り、農業生産量が増加しているという推計もある【注6】。各地の戦国大名の努力により、多少の気候変動があっても「何とか生きていける」時代が到来しつつあったとも言える。

 一度は、まがりなりにも天皇のもとで「日本」としてまとまっていた国は、これほどにまでバラバラになってしまった。

【注1】 田家康『気候で読み解く日本の歴史』日本経済新聞出版社、2013年。

【注2】 詳しくは呉座勇一『応仁の乱』(中公新書、2016年)を参照。応仁の乱後、京都中心主義の政治秩序が崩れ、地方の戦国大名が台頭していく。彼らの多くは室町幕府下では、軍事警察権を持った地方官(守護)や、その代理人(守護代)であった。

【注3】 黒田基樹『百姓から見た戦国大名』ちくま新書、2006年。

【注4】 藤木久志『戦国の村を行く』朝日選書、1997年。

【注5】 実は牧歌的な戦争も多かった。出陣後も昼間から酒を飲んだり、プロの芸人を呼んで狂言を披露させたという記録も残っている。戦闘が始まってからも前線の足軽が小競り合いをして終わりというケースがほとんどだった(山田邦明『戦国の活力』小学館、2008年)。

【注6】 高島正憲『経済成長の日本史』名古屋大学出版会、2017年。

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 古市氏は、戦国時代は「むしゃくしゃして路上で無差別殺人」「飲食店店員の接客態度が悪いと暴行致死(ちし)」「若い男が優先席に座っていて腹が立って殺人未遂」といったことが日常的に起こっていたような危ない時代だ、とも解説している。

 やはりフィクションで楽しむのが一番ということか。

デイリー新潮編集部

2021年1月3日掲載

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