ふかわりょうが「ぼっち旅」「一人焼肉」に抱く違和感 一人でいるのは当たり前では?

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「仲が悪い」ことは美しくないのか

 お笑い芸人のふかわりょうが刊行したエッセイ集『世の中と足並みがそろわない』(新潮社)。発売日に即重版し、すでに現在5刷となっている話題の本作から、「人との距離感」をテーマにしたエッセイを特別公開する。

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 いつの頃からかトイレに詩のようなものが飾られるようになりましたが、それは神聖な場所として捉えられているからなのか、或いは心の老廃物を流すためなのか、深い意味はないのかもしれませんが、今日もあなたの言葉を目にしました。

「仲良きことは美しき哉」

 踊るような筆文字。あなたが実際に書いたものか知りませんが、至る所で見かけるのです。直球な表現も、あなただからいいのでしょう。私のような普通の中年が言っても響きません。ただ、いつも引っ掛かってしまうのです。仲がいいことが美しいのなら、仲が悪いことは美しくないのかと。面倒くさい奴だと思われるでしょうが、せっかく用を足したのに、心に淀みができてしまうのです。

 あなたが悪いとは言っていません。争いをなくすための言葉であることも知っています。ただ、真意を知らずに受け止め、なんの疑念も抱かない人にとってこの言葉は、仲が悪いことがいけないという先入観を植え付け、現代人を苦しめている気がするのです。大衆に受け入れられたあなたの言葉の副作用が、現代社会に暗い影を落としているのではないか。仲良くしないといけない。受け入れないといけない。無意識に人に対する査定が始まり。いっそ、仲良くする必要もないし、仲悪くたっていいんだと言ってくれた方が、人の性格にいちいち振り回される必要もなくなり、用を足しに来た者もスッキリするのではないでしょうか。「仲良きことは美しき哉、仲悪きことも美しき哉」。

 イギリスに「オアシス」という伝説のロックバンドがいました。核となる二人は、兄弟でありながらその仲の悪さが有名で、彼らの言動は度々海を越えて報じられたほどです。しかし、目も当てられないほど子供じみた世界一有名な兄弟喧嘩は、美しくないかと言えばそうとは思えません。むしろ、あの仲の悪さが彼らの作品を高みに誘い、神格化させた気がするのです。きっと、心の底から嫌ってはいないのでしょう。喧嘩するほど仲がいいというように、言い合える関係こそ仲がいい証とも言えますが、別に仲が悪くたっていいのではないでしょうか。

「一年生になったら」が押しつける価値観

「一年生になったら」という童謡があります。大好きで、小学生の時たくさん歌いました。鼓笛隊でも散々演奏したので、低音パートの方がよく覚えているくらいです。

「友達100人できるかな」

「100人で食べたいな」

「100人で駆けたいな」

 入学する子供達に寄り添うこれらの朗らかな詞が、やがて重圧に変わります。もちろん楽曲に罪はありませんが、まるで友達が多くないといけないような錯覚に陥ってしまうのです。少なくても問題ないのに、恥ずかしいことかのような。それは昨今のSNSなどで如実に表れました。それまでは友達が多いかどうかなんて曖昧だったのに、数値化された友達の輪が、残酷なくらいに現実を突きつけます。そもそもSNS上の数値が真の友達の数ではないのに、多いことが理想という固定観念のせいで、人としての価値とさえ勘違いする始末。あの歌がいつまでも頭の中でリフレインするのです。

 私なら、「一人で生きて、行けるかな」に歌詞を変えます。現代版「一年生になったら」。友達の多さより、一人で生きることの大切さを入学式で歌うのです。

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